なぜ働くか

 働かないと食えないとなんとなく思っている人もいるだろうし私もそう思っていたし、ま、今でもそう思ってないわけでもないが、実際に食えないというレベルは多層的で、ようするにそれは人間観の問題という感じがする。絶対的な貧困が日本にはないとはいわないが、それよりも人間観の問題に吸着する。ぶっちゃけていえば、腹をくくれば、働かなくても食える。
 日経春秋子が”親たちと異なり「郊外・庭付き一戸建ての購入」のような自明な答えはない”と言うが、このあたりは微妙だ。現在のパラサイやいわゆるニートも実際にはこの基盤の上に成り立っている。日経オヤジと事実上の共犯の関係にある。ということは、あと10年もすればこの層が激変するのだ。頭の中ではその変化がわかっていても、その世界の光景には今は耐えられない。少しずつ慣れるのだろう。
 なぜ働くかという問いは、現実的にはむなしい。働く人間はただ働くように自分を陶冶しただけのことだ。つまり、なぜのない世界だ。人は、なぜという疑問を駆逐しているから生きているわけで、そうでなければ、明日死ぬという意味性に向き合うということになる。ハイデガーなどは転倒しているが、そういうものに向き合わけにもいかないのが人間だ。
 だから、働く意味なんて、ない。そんなものは考えない。ただ、働く、自動的に働くようにするだけのことで、そんだけのことだ。