君が代神経症

 ⇒教員むしばむ『君が代神経症』

 公立学校の教員で病気休職、とりわけ極度のストレス障害など精神疾患が増えている。背景として卒業・入学式の「日の丸・君が代」強制が見過ごせない。東京都をはじめ、君が代斉唱を強制する教育行政が、教員らの精神をむしばんでいる側面もある。精神科医の野田正彰・関西学院大学教授が、教員らから聞き取り調査した分析結果から見える実態とは−。 (松井 学)

 ちなみに松井学⇒『君が代』強制 都立高卒業式の現状
 ご専門⇒Creative Space TOPICS 君が代不起立 『再発防止研修』の波紋
 ま、それはさておき。

 クリスチャンとして、「君主」を讃(たた)える歌を歌うことができないと考える男性教員の場合は、不起立したことで減給、異動といった不利益や、「再発防止研修」を受ける立場になった。

 欧米のいわゆる普通のクリスチャンではそういうことはないです。聖書にも世の秩序に従ってとけみたいのがあるし(ロマ書13)。このクリスチャンはどの派(denomination)なのか気になります。

 別のクリスチャンの女性教員は、職を失うか、従順に従うかとの葛藤(かっとう)がある。「以前、『君が代神経症』という言葉を聞いた時は、少し大げさではないか、自分はそのような状態になるほど純粋ではないからと聞き流していた。しかし、今はそれが身近なことに感じている」

 クリスチャンというのは、これはあまり一般的に言えないかもしれないけど、見よこの世の様は過ぎていく、という人なんで、失職っというのはあまりどうってことないっていうか、そういう奇妙な強さがあるものです。また、「従順に従うかとの葛藤」というより、さっさと結論出してしまうのでは、内村鑑三がそうだったように。
 とま、クリスチャン批判じゃなくて、比較的クリスチャンという人間を自分はよく知っているかなと思っているので(間違っている鴨)、ちょっと違和感でした。
 あ、ちょっと補足すると、キリスト者はイエス以外なにものをも神としないけど、ローマ皇帝など皇帝への忠誠というのとバッテンするというのは歴史的にもないと思うが。
追記
 ロマ書13より。

すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。したがって、権威に逆らう者は、神の定めに背く者である。背く者は、自分の身に裁きを招く者である。いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れない事を願うのか。それでは善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。

追記
 ⇒jimusiの昼寝 - ロマ書第13章
 ネットリソースはリンクで済むし、引用には引用としての限界がありますよ、全文転載は非常識ですよ、ということ以上には特になし。
 しいていうと。

 また、「ローマ皇帝など皇帝への忠誠というのとバッテンするというのは歴史的にもない」とのことですが、だとすると皇帝礼拝を拒否して迫害されたキリスト教徒はどうなるのでしょうか?

 「忠誠」を「皇帝礼拝」と何故読み替えるのが理解不能
 蛇足。

そのような歴史的経緯を持ったものを、日の丸・君が代の強制に関する文脈で持ち出されるというのは、歴史に対してあまりにも無頓着ではないでしょうか。

 おっしゃられる「歴史」というのは、それはそれで一つの「宗教的・道徳的規範」ではないのか。そういう規範よりパウロの言葉=規範が優先されることはキリスト教徒には普通はないと思う。キリスト教徒は辛い世であればそれはそういうものとしてして耐えている。