なんで子どもの時遊んでいるとメタ認識か?
という話を書いてなかった。
これはこういうこと。
1 すべての認識のメタ認識もまた特定のフレームにある、っていうか有限セット。
2 そのメタ・フレームは本能行動や可塑性のメタ・フレームに近い。
3 メタ認識を限定するのはフレームから引き出されるメタ認識セットの有限性による。
4 本能行動や可塑性のメタ・フレームを強化ないしチャレンジさせておくとその有限性が広がる。
ということだけど、通じるか?
別の言い方すると、大人というのはメタ認識が固定化されている。それが有利なことが多いからでもある。
が、その固定化以外が選択しづらい、というか、本能行動や可塑性の持つaffluenceがなくなっているわけね。
例えば、リンゴの皮を剥くというタスクに取りうる子どものスキームは本能行動や可塑性をけっこう表現する……。
とはいえ、現実の子どもはなかなかそれができないのだけど。
あるいは、間違えることは面白い、という感覚かもしれない。
間違えた行為のおもしろさを知る子どもはメタ認識をふくらませている。