若くして死ぬを人みるとせつないと思う

 自分も50歳近くまで生きると思ってなかったし、その他、思いがけないこともあった。
 早世した人にくらべれば、のうのうと免れていることよと思う。恵みでなくしてなんであろうか。
 死が恐いかといえば、恐い。そりゃねである。
 ただ、こうして流されるように生きて、老いていけば、死というのは、その終わりとして自然にあるものだろう。老衰というのは、中の人にもよいものではないか。
 ってか、まじでそういうあたりで自分がボケてきたなと思う。
 よく自分はボケてないとかいう人がいるが、私は、正直にいうとわからん。ボケているというより、もともとある種の能力はないのであり、粗忽者、おっちょこちょいだし、ま、そんなものだろう。若い頃からな。
 むしろ、ボケというのは、なかなか心が老いていかないということだろう。ぼけっと秋空を見ていると、青春の胸キュンみたいのがあって(少ないがさすがに)、無意識では自分の歳は25歳くらいで止まっている。
 もちろん、25歳では止まっていない。止まらないように生きてきた。死ねるように生きてきたし。