ツンデレというのは…

 ま、私が理解してないかもだが、恐い。
 ま、この歳こいていうものでもないが。
 ツンツンというのは別にそれはそれでこちらに被害はないが、デレは困る。この困る感がうまく表現できない。女嫌いというのでもない。
 男でもデレというのは多い。というか、日本の男性は基本的にパートナーを疑似母にしてしまうので、そこにデレではある。おーい、お茶というか。
 で、もうちょっというとツンも恐い。基本的に自分の人生と関係ない人間というか異性というか性の対象にそういう関係性を暗示させるものがあるというのは、うざったいというか、恐いというか、避けたい。
 つげ義春の、あれは必殺するめ固めに入っていたか、男が調布の古い娼館の一室をこっそり借りて、散歩がてらに家を出た時のセカンドハウスというかルームというかにしているという話がある。やがて妻にばれて、なにかと運んで貰うことになり、蒲団もということになり…というくだりで、あの感じの男の心の動きがよくわかる。山本直樹が、明後日ダンスのなかであのシーンの完全パクリをやっていたが、もちろん盗作というのではなく、オマージュというか、あの頃の山本はあきらかにつげを意識していた。
 そういえば、外人の女というのも、さらにめんどくさい。愛というか恋愛は一種の信仰というか宗教のようにもなる。あれはなぜなんだろうか。
 そういえば、太宰治人間失格だが、今時は、なんか、暗いギャグのように読まれたり、あるいは依然ある種のピュアな感じというか偽悪を嫌う心として読まれるのかもしれないが、あの小説の主題とまではいえないが、最大のモチーフは、愛した女が寝取られた現実を否認したいということで、その否認が一種病的な状態になっているということだ。主人公は愛した女が性的に他者を受け入れている状態を否認したいのだが…ああいう男の奇妙な心理はなんなのだろうか。
 奇妙な潔癖さというか偽悪ゲームのからまりというか。
 こういうとなんではあるが、たとえばネットにはウヨ・サヨいるわけで、ま、どうぞご勝手になのだが、人がある政治的な信念で語っているとき、なぜかセクシーではないと思う。もちろん、そうではないと感じる人もいるのだろうが。誰だったか、含蓄のない男は不完全だと言っていたが、そういう感じでもある。
 ま、特定してとばっちりしたいわけではないが、たとえば、STOP THE KOIZUMIとか書いて主張したり連携したりするっていう人間ってなんなのだろうかと思うというか。私はある性的にそういう人間が恐い。性の問題とかめんどくさいことを言いたいわけではないのだが。