テレパシーとか霊とか…

 そんなものあるわけないですよ。
 そんなの全然科学的ではありません、という、科学で我々の市民社会が合意している。
 合意形成がしやすいし妥当だ。
 残念ながら、それが個人の人生体験とかになると、話が複雑になる。
 ある経験のなかでは、テレパシーとか霊とかばしばしある。
 それはその人の経験なんで、その経験っていうのは他者なり、市民社会が否定できることではない。
 もちろん、そんな体験が市民社会の合意になるわけもないが、そういう経験自体がその人の人生の意義を形作って、その結果が何か市民社会に結果的な影響をもたらす…というのはある。
 私は他者の経験は否定しない。
 と同時に私は私の経験を否定しない。
 ある日、神が語りかけてくるなら、しかたない、そういうものかと思う。
 社会は私を精神分裂と判断するだろうが、しかたない、それが私に与えられた経験であり、人生だ。
 と、いうふうに我々は、その存在を開いていくものなのではないか。