つづき

 …と、いうふうに我々は、その存在を開いていくものなのではないか。
 なぜ?
 たぶん、恋愛とか人生にとって意義のあるものは、そういう奇妙な開示性と本質的な関係性を持っているのではないか。
 ぶっちゃけて言うと?
 ある人が自分を愛している、あるいはその人に愛が伝わる、という精神構造は、多分に、テレパシーとか霊と変わらないもんじゃないのか?
 ついでに。
 愛は信じるけど、神は信じないというのは、ある特異な精神構造というかエートスというか倫理かもしれない。
 誰だったか、どっかの司祭さんだったか、神を信じなくてもいいですよ、愛が信じられますか? 愛が信じられるならそれで十分ですよ、と。
 ついでに。
 日本人がとも限定されないが、神っていう概念は、無限の召使いなんで、ようするに、こちとらがひーこら勝手に使いたいそういう存在なわけで、それは、ちょっと神の側としても、い・や・か・も。