若い子たち
よくわからん。
階層差があるないとか言われているが、あるように思う。
上流というか品のある家の子というのは目立たないものだ。
若者論などはたいてい外すのが相場。テーマにするだけ馬鹿の証明でもある。でも、はてななんぞの若い兄さんねえさんたちはそれでもある種のエリート層なんだろなとは思う。
沖縄で暮らしていたころ、ときたま、東京にステイして思ったのは、コンビニとかファーストフード店員の若者のぞんざいというか情味のないことだった。沖縄だと、全部がそうだとはいわないが、若い子たちには人間的ななにかが生き生きと溢れ出ることがあり、そのある感性みたいのを知ると、ある種のナイチャーははまるのだろうとは思う。
東京に戻って三年にならんとしている。三年後生きているものだなと思うし、歳もとったなと思う。思うことはみな無駄だとも思う以下略。
そして、コンビニの子とかファーストフード店の子を今どう思うかというと、なんにも思わない。むしろ、沖縄よりある繊細さを感じることもあるが、そこに自分の関心が向かない。
小林秀雄が若者というのは深く隠れると言っていた。それを読んでいたころの私も深く隠れていた。ま、今でも隠れているが一応。西欧の格言に、世に隠れて棲め、よく隠れた者はよく生きる、というのがあったが、ラテン語だったかギリシア語だったか、原典も忘れた。
隠れて棲めとか息巻かなくても、生活のある知性というのは、そっと社会のなかに隠れるものだ。土居健郎が愛の本質は隠れることと言っていたが、そういうものだ。その知性と愛とはそして関係はあるのだろう。 オカルトというのも、それ好きの人たちはぶざまに騒ぐものだが、本来は隠されていたものであると同時に、隠れるものだ。
書物を読めば利口になると思っている人になにか言うことは無駄だだ。知識はあったにこしたことはないと言うも以下略。しかし、世に隠れたもの、言葉にならないものは、まさに世に満ちている。というか、そうしたことを知る人間は隠れる。