ようは新聞対ネットではなく…広告効果でしょう…
とはいえ、日本ではオンラインが紙を超えることは当面ないだろうなあ。やはりしばらくは、オンライン、紙、それにセミナーなどのイベント、物販などをからめた複合戦略しかないと思う。
以前にも書いたが、新聞の紙面の半分は広告。
新聞とは広告を折り込むための広告の紙。
残りの1/4がベタなニュース。これはネットと同じ。
残りの1/4が解説や企画もの。これはブログのクオリティとさして変わらん。
新聞対ネットというとき、ネットでブログとかいうとき、よく一次情報がってことが話題になるし、新聞もそれなりに一次情報を持っているが、基本的には、おそらく、半分は通信社と同じ、残り半分は記者クラブベタ。新聞の一次情報って、ようするに、記者クラブのことじゃん。
というわけで、通信社が独立的に存在すれば、情報という面で、新聞の意味はない。実際、若い世代にはすでに無意味になっている。
とすると、なぜ未だに新聞が存在しているかというと、その半分の紙面を埋めている広告主という産業構造と市場の問題。
市場側がオンラインにシフトして、そちらに広告費が投下されれば、新聞は終わる。それだけ。
ただ、そういうふうに市場がシフトする動向は頭打ち。
理由は、たぶん、閲覧時間の上限ではないか。
普通の生活をしている人間がネットに割ける時間はせいぜい二時間。それも、テレビとのせめぎ合いになる。が、テレビの場合は、いわゆる生活者というか、非勤労者を含む。そのあたりが、ネットとラジオを決定的に分ける。
オヤジとかの層だと新聞のポータビリティは、なんといっても高い。
そういう新聞広告自体が、ほーかーい!となると話は面白いのだろうが、TVとともに、壊れそうもない。ってか、日本の新聞て、外国の新聞や雑誌とはまったく異なる広告メディアだし。