ぼーっと考えているとそのうちなにを考えているのかについて考え出す…
(いちど消して、また復活。まったく、我ながら。)
禅のようだが。
ボルトンはこけるのか。ボルトンが国連のお目付になるとして象徴的以上の意味があるのかよくわからない。で、なにの象徴かといえばチェイニーだ。彼は大統領になりたい? そうは思えない。
足を引っ張ってるのはパウエルっぽい。最後っ屁ってやつか。遺恨ってか。
ブッシュは案外呑気になるようになれと見ているか。
世界はとりあえずフランスずっこけ待ち状態か。
人民元はまだやる気だ。中国、正気か。
グリーンスパン彦左衛門も最後のご奉公。スノー鉄人28号も怒りまくっている。このあたりで、ちょっと不思議なのは、って、言わないが吉か、ま、あのての方々が、中国攻撃をしないのはなぜなのだろう。リアル・ポリティクス?的にみると、中国をここで攻撃っていうのはなんだかだが(俺とかそ)、マクロ経済学的にはスノーの援護とかないのか。って、およそ国内の問題ではないのか。
郵政民営化はもうなにがなんだかわからないのだが、ようするに、郵便以外の部門が金融庁管轄下に入ればいいというだけではないのか。と、いう点で、小泉は評価できるのではないか。
今回の宝塚線事故でもそうだが、こうした惨事ですら、情報戦になっている。
以前からすべてがそうだったのかもしれないが、ある利益に関連する情報で空気を醸そうとするこの動きはなんなのだろう。
掲示板やブログもまたそうだ。
そして、あれとかこれとかあるわけだ。
るっせーやつは黙らしてしまえと。
というわけで、私なんか小者はるっせーことは言わない。ってか、別に言いたいわけでもない。
でもなぁ、なんか、正気でいたいよなと思う。
なにが正気かよと思うし、この手の話をすると私をキチガイよばわりする人もいるだろうし、ま、いるなら、認めてあげるよ。
って、なんだかな。
と、ぼーっと考えるだが、こんなこと考えても益はない。
というわけで、他のことを考えたりする。
考えていること、その他なんたらかんたらと、ブログや日記とのバランスがよくわからない面もある。
ま、R30さんが祈りを書いてしまう臆面のなさに共感していうなら、ブログとは、正気と思える市民の(あー市民って言いたくはないな)連帯でもある。連帯なき連帯なので、連帯はないわけだが。あるとうぜーだけだし、そこでそちらの力学が働く。
ってか、そうした思想の色分けされた人という単位でレギュレートされた連帯というか、つるみ、ってかが、情報を支配している、あるいは富を支配している、というかそれが「支配」ってことかとなるなら、本質的なそのカウンターはかなりピュアな思想でないといけない…というあたりが臆面のなさである。
世の中あたまのいいやつはたーんといるだろう。そして頭がいいから利に聡いのだろう。馬鹿のほうがましかもなと思える際までそんなものかもしれない。