ブログとかで…

 右派左派…なんでもいいけど、ある問題の重要性を自明として声高に語る人がいる。自分がそうでないというほど呑気でもないのだが、最近、それって、ただの修辞だよねと思うことが多い。
 人権擁護法案? 竹島問題? ホリエモン騒動? ある自明性の前提、重要性の前提だけが問われるように語られても、それは頷くか聞かないかくらいなもので、考えるっていうこととはほどとおい。
 とま、自分をメタにして逃げるわけでもないのだが、ある与件のありかたのほうが気になる。つまり、そうした問題を修辞的に成立させる構造が同一の構造なら、その構造が問題だ。ま、メタ的な言い方だが。
 で、実の問題というのは下のエントリにも書いたけど、現実は現実としてそれほどどうありかたが選択できるものでもない。竹島問題にしても、解決しようがない。普通の国家なら最終的に戦争ということになる。しかし、日本はその選択をしないと決めた。中韓の一部は日本の軍国主義の復活がとかいうけど、このことで日本がある程度リアクションしていること自体、戦争の選択はしませんよ、戦前の日本じゃないですよという自明なことなのだが、通じない。しかたない。