天木 我々は基地問題をどこまで知っているのか

 あまりマジなコメントはしないが吉ですが…

 私は生まれてこの方、米軍基地の周辺を訪れた事がない。どんなに新聞で在日米軍の基地縮小について読んでみても自分の事として捕らえた事はなかった。日本人の多くはそうであろう。しかしこの金城記者の記事は私にあらためてこの国がかかえている基地問題を考えさせてくれた。そして「基地と共存」することは不可能であることを知らせてくれた。

 うーむ、また、うんこ飛んでくるかな…ま、率直言おう、こういうふうに言うことは、ある一定の年代以上の日本人なら恥ずかしいことだと思う。事実上未だ占領下にあるこの母国を思えばその現実をある程度実感として知っておいてもいいと思うし、米兵というのはいずれせよ、私たち日本人のneighborhoodだ。実際に対話してみたりするといいと思う。相手も人間だ。若い人間などは、世界に好奇心をもっている。

そして金城記者は、大和市宜野湾市の住民の声を次のように伝える。「・・・負担軽減といっても、県内や国内に移るなら意味がない。求めているのは基地の閉鎖だ」、「厚木の夜間離着陸訓練を三宅島に移そうとした時、三宅島の猛反対にあった。大和の騒音がなくなっても日本のどこかに移る。そんなことを望む人はいないでしょう」、「飛行機が落ちないと、日本全体の問題にならないのかねえ」

 これは、ほとんどうちなーんちゅになりかけた自分としては、こう言うと波風が立たないし、本音を言っても意味ないからなんですよ。
 うちなーんちゅだって普通の庶民だから、生活は快適なほうがいい。ある程度補償があって騒音がすくないといい。それが本土移転かというのはほんとはあまり関心ない。ただ、うちなーんちゅは、本土の人にあまり迷惑をかけたくないなという本音というか、やさしい気持ちがある。それがどうしても内にこもって逆に出たり、また、それが通じないなと感じている。
 ま、そんな感じ。
 視点は天木と逆だけど、SAPIO小林よしのりが沖縄のこと書いているけど、うちなーんちゅにしてみると、沖縄のこと思ってくれる人がいるんだな、うれしいなというのがまず心情としてある。その先はちょっとサービス精神とかも出てしまう。で、実際、小林よしのりの表現した沖縄なり政治思想なりをどう捕らえているかというと、わからないなと思っていると思う。沖縄のことをほんとのところでは理解していないと思っているとも思う。
 そんなことを書くと偉そうにと、また、うんこが飛んでくるのかもしれない。私は、長く沖縄に暮らして、あそこで、荼毘に伏されて、海に流す人生だと思った。そうならないみたいだが、そうして内在的ななにかは沖縄のなかにどろどろととけていった。でも、うちなーんちゅにはならなかった。なぜかわからない。ただ、もうちょっというと、今の若いうちなーんちゅも、かなりの部分、うまくうちなーんちゅであることが理解しづらいだろうとは思っているのではないか。それでも、沖縄で暮らしているかぎり、島という現実があり、それが沖縄なのだと思い知らされる。その点、ナイチャーは内地に帰っていく。