で…(続きのような)

 山本の…。

私は自然法とはそういうものだと考えていて、その渋滞は私たちの試行錯誤という投資を迫っているのだ。ならば、確率論的に言って多くの人がリスクを取って一次情報を流し始めればネットは新しい世界を拓くことになるかもしれないと思うが、一方でそんなことしてもリスクばっかりでちっとも喰えない。喰えないシステムは最悪なシステムである。だから、喰える私が私の責任の範囲内でやっているのがジャーナリズム(笑)であり、このちっこい界隈のフロントランナーとしての役割だろうと勝手に判断してやっているので笑って見ていただいていて何の問題もない。

 スキームとしては試行錯誤こそが必須ということのようだが、が、と、センスはここで隠されている。そして、ここでは、実は、新しい社会を意識したコミュニケーションの可能性がまた要素だという潜んでいる。ここで、ちょっとずっこける。2chはそうしたコミュニケーションの可能性だったか。もちろん、そうだ。がそこにある限界はあった。それはここでいう大渋滞?かどうかはわからない。匿名云々の問題かどうかもわからない。ただ、少なくとも、個が「私はこう言う」という個の集積とは異質なものではあっただろ。話が逸れ気味だな。それそれ。
 で、食える範囲でやれるやつがやればいいし、そうしたヤツをエンカレッジするしかない。
 でも、食えないやつもやつもやるかもしれない。っていうか、菜根を囓る人間がお気楽に出てくるのも一興かと。ただ、それの対価なりの幻想はあるのだろう。
 その意味で、山本は、その幻想からは自由なのだろう。そこが、本当は、一番、センス、ということかもしれない。