2ch この国にブログなど存在しない

本文抜粋:
finalventさんはどう思われますか

 と、これは極東ブログのほうへのトラバだったが。で、その板の問題提起はこう。

もちろん個々が書きたいことを書けばいい。しかしそれにしても
このブログブームとか何とかの中で、一向にそうした真に読む価値
のあるブログが生まれないのはなぜか?それはまともにモノを言える
人間がいないからとしか思えない。

 そうだなぁ…(zzzzz寝るなって)、例えば、「極東ブログ」だね、あれ、つまんねーという人は多いと思うのですよ。馬鹿みたいとか思う人もたんといる。で、そういうネガティブ(消極的)にネガティブ(否定的)っていうのは、現状では、じゃ、次行ってみよぉぉじゃないけど、他に行くとか、ご自身で面白いことを書かれたらいいかと思うのですよ。率直にそう思う。つまんないもの見て、人生の時間を無駄にするなって。
 で、自分としては、自分が面白いという感性に賭けるしかないかな、と、それに自分があまり無理なくできれば、と。ブログなりがジョブベースになれば話は違うけど、まだ全然日本ではそういう線は見えないわけですし、なんか、すげー誤解されるかもしれないけど、自分のここで書いている雑文が売れるかというのは、そのチャネルのあり方と含めて、よくわからない。ただ、よく批判されるかなと思うけど、「げ、その低レベルで売る気かよ」みたいのは失当だと思う。そういう枠組みは古過ぎ。っていうか、左翼というか疑似インテリな枠のまま過ぎ。思想なり知なりが商品として直結するという考えはすでに解体されている。まず、商品として思想なり知なりが現れるという逆転なのだが、意外にまだネットの知性にはうまくそのあたりが反映されてはいない。っていうか、サブカル的な逆転が進行しているのでどっかで可視なカタストロフになるんじゃないか。
 ちょっとうまく言えないのだけど、今自分がブログでマジな部分っていうのは、自分の感性もだけど、私は私なりに同胞を信じたい、そのためには、私がまず声を上げようというか、そしてそれに答える声は、かつてのパソコン通信の経験からいうとそうたやすく可視にはならない。それでも、声を上げようと。それと、その同胞が日本を越える部分がどうだろうというのは問題意識にある。っていうか、コヴァでも右傾でもっていうか、「日本人として」として世界に向き合うわけで、それはそういうものかもしれない。ただ、たとえば、ブログっていうのは世界現象なので、そこを越えるきっけの窓を開いておきたいというのはあるかな。
 だらだら書くけど、山本(一郎)とか、論壇ブログっていうなら立場を鮮明にせい、っていうのはある、っていうか、それ事態が一つのサービスになるからでもあるのだろうけど。で、そういうリジッドの論説ブログより、私自身は、なんというか、緩いほうがいいような感じがしている。うまく言えないのだが、私の書いていることはそのまま読み手に相対化できるような書き方というか、そういう開かれたブログというか。
 その意味で、くだらねー、でもいい、というか、「くだらねーな、俺だったら、こう思うな」というリゾナンスが重要なのではないか、というか、そういう開いた書き方はできないかと思う。
 んのわりに、この日記は、一言だけとか多いのだけど、ま、メモというか、これはこれで、「今」と今の自分のある側面の問題でもあるし。
 ま、私は私のブログがどこまでできるかな、でもあるし、そんなこと気になくてもいいから、みなさん、どっかへ行ったらいいさとも思う。投げやりとかではなくてね。