ネットと心の傷…

 ブログのなかでその筆者の心の傷ような記述にときたま出会う。ま、私自身とここもその例外ではないといえばそうでもある。
 そうした時、とても不思議な気はする。
 なぜそんなものを公開するのか?、と。そしてそれについての理屈は付くには付くのだろう。そして、「癒し」という言葉は嫌いだが、その公開とそれを読む人との間に、癒しに近いある心の運動は始まる。
 というのも、人の心の傷というのは、実は、本来的に私的な領域ではないのではないか? 文学などはかつてはそうしたある現れてでもあった。
 吉本隆明太宰治などを論じて、たしか、これを心の傷といえばそうだが、その傷自体が近代の我々の遺産だと受け止めていた。
 ブログや日記におけるそれは、なにか、そうした延長のように思う。
 あまりいい例ではないが、たとえば、20代の女性のつらい内面のようなものを読む。私は電車に乗りながら20代らしい女性を見かける。そこに内面があるのだと思う。もちろん、そう思うか思わないかはそれほど重要ではないのだろうが、強く、人間というものへの喚起はある。
 ま、この問題は簡単に言えることではないのだが…。