自分という意識

 自分という意識は4歳くらいまで遡及できる。そしてコアな自分は思春期だろうか。それから、25歳くらいまでは精神に成長の感じはあった。17歳になるその瞬間を今でもまざまざ覚えている。19歳のとき浪人した新宿の空気を今でもビビッドに覚えている。大学は長かった。
 それから父が死ぬ31歳はついこないだのように思う。ある意味で、自分の精神は25歳くらいで止まった。普通、人というのはそんなものかもしれない。
 もちろん、それとは別に47歳の自分をそれなりに受け止めてはいる。かすかだが、衰えとは違った意味で自分の意識に、25歳のそれとの差異を感じる。また、おそらく死の浸食だろうが、眠りと無意識が自分の精神を広く覆ってきているような感触もある。これがより多くなり、私の精神は自然に解体され死に向かうのかもしれない。