今日の大手紙社説

 民主党のジャーナリズムに批判に各紙ともにカチンと来ているの図。まあ、これは新聞社が正しい。国会討論だが、おぼっちゃマン対戦を見ている暇人はいないだろう。
 明日は、小沢さん逮捕かwktkという空気になるだろうか。
 ⇒時事ドットコム:小沢氏、23日に聴取=「被疑者」も検討−4億円の説明求める・東京地検

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体陸山会」による土地取引をめぐる事件で、東京地検特捜部による小沢氏への任意の事情聴取が23日に行われることが、関係者の話で21日、分かった。特捜部は、参考人としてではなく、黙秘権を告げた上での「被疑者聴取」とすることも検討しているもようだ。

 関与を疑わせる物(署名)などもあり、そうなるのかもしれない。
 どうなるかというとよくわからない。ブログにありがちなことを言えば、密室で手打ちという話になりそうだが、そうだろうか。
 個人的な思いでいうと、小沢さんの先日のキリスト教関係の放言に私はちょっと呆然としていた。こんなに常識外れの人になってしまっていたのかなというか。そしてその常識ずれが、他所で何をもたらすかを想像してちょっとぞっとした。権力者は孤独なものだというが、孤独は自身を狂わせる自ら作った牢獄でもある。

日経春秋 春秋(1/22)

 「書類選考」などというときの「選考」は、本来は「銓衡」と書く。「銓」とは秤(はかり)に使う分銅のことで、片や「衡」は秤ざおを指す漢字だ。つまり、ものごとや人物を秤にかけるようにしてしかと見極めるのが「銓衡」なるものである。
▼それがなぜ「選考」になったか。話は半世紀ほど昔にさかのぼる。当時の国語審議会は、当用漢字は定めたもののリストにない文字を含んだ漢語に手を焼いていた。そこでエイヤっと、同音で似通った意味の漢字への書きかえを求めたのだ。編輯→編集、聯絡→連絡、諒承→了承などなど数え上げればキリがない。

 とはいうけど、そういうふうに借字を使うというのも、中国での漢字の歴史を見てもごく普通のことではあるんだけど。

日経社説 GDPで日本に肉薄する中国の責任:NIKKEI NET(日経ネット)

 簡単に言っちゃうと、べたな帝国主義だと思うけどね、中国。国民当たりで割ってみたら、普通に途上国のまんまなんだから、どんだけ帝国的な支配をしているかということ。それがうまくいけばいいじゃんというかは別問題だが。

毎日社説 社説:閣僚の報道批判 軽率な発言ではないか - 毎日jp(毎日新聞)

 記事のスタイルを含めた自由な報道は、憲法で保障された表現の自由に基づく。もちろん、その前提は「事実の報道」であり、それが覆った場合、報道側は責任をとる。
 だが、2人の発言は、事実か否かではなく、情報源の表現方法に介入したものと受け取れる。
 特に原口総務相は、放送の免許権を持つ立場だ。21日には、報道批判の意図はないと発言したが、実はテレビ報道をけん制したように映る。自民党政権下、放送行政への政治側の介入を民主党が批判してきたことを思い起こしてほしい。

 これも賛成。

読売社説 オバマ就任1年 厳しさを増す変革路線の前途 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 放言の部類だが、世の中の罵詈雑言を引き受けたブッシュさんはその分だけ偉かったのかもしれないよ。まあ、彼も嫁さんに恵まれた人だった。少なからぬ人が、ローラの旦那だしと見ていた。そのことを苦々しく思った人も、そのことで忍耐を学んでいた。

読売社説 予算委員会 党首同士の論戦を重ねよ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 首相は「天地神明に誓って知らない。違うという事実が出てきたら、当然、バッジをつけている資格はない」と述べ、議員を辞職する考えを表明した。

 私は鳩山首相をために疑うということはしないが、あのなぁ、なんつうか、俺はそういう「天地神明」とやらを信じないんだよとは思った。神を信じるかといえば、微妙だが、少なくともそれを他者との信頼の関係には持ち出さない。大人になれよ、鳩山さん。

朝日社説 総務相発言―政権党の短慮にあきれる : asahi.com(朝日新聞社)

 情報源は可能な限り明示するべきだ。しかし取材源を隠さないと得られない情報もある。その場合、情報源を守るのは最も重要な報道倫理の一つである。必要な情報を社会に提供し、民主主義を守るというジャーナリズムの役割を果たすために不可欠なことだ。
 報道に携わる者は安易にあいまいな表現をしないよう、自らを厳しく律しなければならない。しかし、最終的にどう報じるかは、あくまで各報道機関が独自に決めることだ。
 それを規制するかのような発言を、放送局に免許を与える権限を持つ総務相がした。原口氏はその後、「放送内容に介入する気はない」と釈明したが、自らの言葉が報道への圧力になりかねないということについて、あまりにも自覚がなさすぎる。

 そう、それがジャーナリズムというもの。体を張ってやっているのだし。

 民主党は「捜査情報の漏洩(ろうえい)問題対策チーム」の設置を決めた。「政治が検察によって抹殺されてよいのか」という激しい声を上げる議員グループもある。総務省政策会議の場で、記者クラブについて「各省庁のクラブは全部省庁に乗っ取られて、まともな記事が書けない」と述べた議員もいる。
 政権党の議員として短慮としかいえない。権力を持つことの意味を理解しているのだろうか。

 トップにその自覚がない人がぞろりと揃うと中間・末端はグダグダになるか。ボトムアップで下から自覚を積み上げていくか。まあ、結局は、国家権力は国民が委譲したものなので、国民がすっぱい思いをするのが大切。

晴れ

 気ぜわしい。気ぜわしいのと、なんとなく世相の影響を受けてしまう部分はある。昨日、Twitterで、35歳になったが25歳の気分と変わらないというのがあって、それね、50歳なっても変わらないよとツッコミ入れようかと思ってやめた。なんかガッカリさせちゃうよね。人にもよるのかもしれないし、以前にも書いてきたが、人生にはいくつか節目があってそこからはうまく成長しない。世の中はポジティブブームっぽく成長のヒントを述べる教祖も増えてきたが、普通に挫折を乗り越えることや他人を背負ってみるということくらいでしか人は成長しない。で、こうしたことは、結局、個々人の生き方の工夫によるのであって、他人のアドバイスはまったく役に立たないわけでもないけど、そう役に立たない。結局、人にはそれぞれ運命というのがあって、それを自分の課題として受け止めていくというくらいなもの。ああ、朝から説教かよ。