日経社説 著作物の適正な流通図れ : NIKKEI NET(日経ネット)

 最近、「ネットはすべて無償」と主張する利用者が増えていることにも異議を唱えたい。個人のブログでも記事の無断全文引用などが目立つが、法改正がそうした風潮を改める契機になることも期待したい。重要なのは著作権文化の醸成である。

 これは、それはそうなんだけどと留保して、2つ疑問に思うのだよね。一つは、「記事の無断全文引用」というときの「記事」の意味合いがよくわからない。つまり、記事って全部が著作物ではないと思うのだけど。もう一つは、外信見ていると、ワシントンポストニューヨークタイムズとかのパクリとしか見えないのがけっこうあるんだけど、あれってなんなの。

日経社説 小沢代表は厳しい世論を直視せよ : NIKKEI NET(日経ネット)

 小沢氏は西松建設側から巨額の献金を受けてきた理由など疑惑の核心部分には答えていない。

 だから、小沢氏は企業献金のない共産党に移籍すべきである、かな。

産経社説 【主張】非正規労働者 自立促す安全網を整えよ - MSN産経ニュース

 あまり関心の向かない社説なんだが。

 実は職業訓練中に生活資金を貸し出す制度が昨年秋から始まっている。だが、連帯保証人が必要になるなど使い勝手が悪く、ほとんど利用されていない。

 連帯保証人という制度そのものをなんとかしたほうがいいのだろうけどね。

毎日社説 社説:千葉・民主大敗 早く不信をぬぐい去れ - 毎日jp(毎日新聞)

 はて、これは千葉県民を愚弄しているのかな。民主主義なんだし地方政治なんだから、その地域の人が選んだ人が信任されたという以上はないと思うが。

読売社説 国立大法人評価 教育研究の質向上につなげよ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 国立大学は私立大学と異なり、公的機関として高等教育を受ける機会を提供する使命や、地域に貢献する役割も持つ。こうした面での業績について、今回の結果はどう判断したのかわかりづらい。

 そりゃそう。だってこれ、地域からの評価じゃなくて、お上の評価でしょ。

そうねえ

 ⇒理系は使わない言葉
 ⇒はてなブックマーク - 理系は使わない言葉

理論的

 「理論的」はモデル的という意味で普通に使うのではないかな。自然科学というのは、モデルを立てて理解するわけで、そのモデルからはこうなるよ、というときに、「理論的には」となるのでは。

「ベクトル」の誤用

 これは増田の言っていることがよくわからん。二値以上で行列で表現できるのは全部ベクトルでいいんじゃないのかな。

加速度的に

 これは言われてみれは変かな。「加速度的な増加」はそれほど違和感はないような。

力学が働く

 これはdynamicsの誤訳的表現で定着しているのではないかな。organicではないmechanicは力学が働くでよいのでは。

方程式が崩れる

 これはただのナンセンスかな。

次の次元

 なんの違和感もないけど。

それ以上でもそれ以下でもない

 これも違和感ない。増田君は「それは空集合です」としているのは「以上」「以下」に等号の値を含めているからいかんというのだろうと思うけど。まあ、そこまでつつくかな。それいうなら、「それは空集合ですも、{{φ}}という集合ですみたいな話になりそう。

これほど膝ポン!なのはコラムニストをフォローする楽しみ

 ⇒Robert J. Samuelson - Geithner's Rescue Plan Carries Risks - washingtonpost.com

By Robert J. Samuelson
Monday, March 30, 2009; Page A17
Call it Uncle Sam's hedge fund. The rescue of the American financial system proposed by Treasury Secretary Timothy Geithner is, in all but name, a gigantic hedge fund.

 ⇒極東ブログ: 簡単ガイトナー案

ようするに手元の持ち金のない人でも、公的機関というか日本でいったら日銀がカネ貸すから、ちょっくらヘッジファンドやってみないかね、そこのお兄さん、みたいなことでは。っていうか、国家がヘッジファンドに加わるのかよ的なことなんじゃないか。

ぶくまで見かけて、そして全体象は皆目わからないのだけど。

 ⇒宮台真司/東浩紀@シカゴ 2009-03-31 - 日記&ノート(転叫院)
 最初にお断りすると、宮台真司東浩紀には私はもう関心ないです、単純に。
 でちょっと気になったというか、別に反論とかではないけど。

アメリカで過ごしていて、アメリカ人や他のナショナリティに属する人の話を聞くたびに、僕は現代日本の人々ほど、いわばサルトルが言ったような「自由の刑に処せられて」いる人たち、選択の自由と自己決定の義務に晒されている人たちはいないんじゃないかという感覚に捉われる。何も根拠はないけれど文化様式を選択しなくてはならないのだ。

 そういう感覚もあるだろうし、そういう視点もあるのだろうと思う。
 ただ、私というか、結果的にこの年こいてしまったその日本の安逸な時代を生きてみて思うのは、たぶん、オウム事件のころに転機があったのだろうと思うけど、なんというか、リアリティというのが喪失した状態じゃないかなと。
 ドブのない町並みで、ドブ板を巡らない松下塾出の政治屋みたいな。
 あるいは昨日の⇒ぶくまで見かけたのだけど - finalventの日記
 ではないけど、昭和の普通の光景、というか、感覚的に言えば、臭い世界というか。
 あるいは70年代エロ映画の、肉体への乾きのような感覚というか。
 もちろん、それらがリアリティではないのだろうけど、なんというか、人間が体臭を放ちながら押し込められて欲望していた世界のようなものがあった。し、メディアの幻影というのはそれに見合ったまさに幻影だった。
 ボードリヤールがハイパーシミレーションはリアリティであると言ったあたりから、リアリティはハイパーシミレーションになってしまったというか。
 たとえば、偽科学でも、陰謀論でも、いちおう形の上ではまるで歌舞伎のように真実と言説の虚構があって、そして真実へ自分が加担することで実際には他者を排除するコミュというか、まさに元リンクにあるような所属がゲーム化される。
 しかし、この例でいうなら、おそらく偽科学も陰謀論もただのハイパーシミレーションであり、ゆえにただのリアリティでしかない。これは相対主義というのではなく、実際には、所属コミュないし、信奉するイデオロギーあるいは美感、といった、そういう仮託された自己のラベルがまさに自己でしかありえないようなリアリティの世界なんだろうと思う。
 その意味で、そこには、自由なってものはなにもないんじゃないかと思う。というか、そおらく、この幻影には自由はないよと、団塊世代より上の人々は感じているし、そういう世界を生きていた。もちろん、それもまた、知的に、言語的に構成されるし、日本のコンテクストでいえば敗戦と冷戦が生み出した被支配の物語だった。

cover
もう頬づえはつかない [DVD]: 東陽一, 桃井かおり, 奥田瑛二, 森本レオ: DVD
 「もう頬づえはつかない」の映画のほうだが、奥田瑛二扮する男が女に捨てられて泣き崩れるシーンがある。あのどうしようもない屈辱感のようなものを、あの時代の男たち、つまりは私の世代だが、は、どうしても抱えていかなくてはならなかった。非モテとかいうような言葉も文脈もなかった。ただ、屈辱は体臭のするリアリティでもあったが、そこにそれが映像化するなかでなにかがすでに失われようとしていたし、全共闘世代が終わった私の世代ではすでにそれらの虚構化は始まっていた。
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純 [DVD]: 横山博人, 江藤潤, 朝加真由美, 江波杏子, 花柳幻舟: DVD
 その虚構化と、おそらく現代の若い世代が「自由の刑に処せられて」とあたかも見えるような、欲望とメディアの幻影の乖離の、まさにその乖離の瞬間を捉えたのが、「純」だと思う。
 ここで江藤潤扮する純という青年(まさに「純」という命名がシンボリックだが)、朝加真由美扮する女を恋しながらその肉体に関わることができず、痴漢になっていく。この痴漢だが、映像を見るとわかるのだが、痴漢という肉体的なものではなく、まさに映像そのものの幻影が描かれ、そしてその映像の向こうにあるのは、花柳幻舟に比喩される70年代的なエロとそしてあえて言えば身体的な政治の陶酔からの隔離の感覚だった。朝加真由美扮する女はすでに欲情して純に迫り、そして純はそれに打ち砕かれていく。泣き崩れていくといってもいいかもしれない。あそこから逃れたいという希求が、おそらく、その後のフィギュアだの二次元を生み出していくだろうし、そこにメディアは逃亡地を与えた。
 「自由の刑に処せられて」と見えるのは、比喩的にいうなら、子をはらむかもしれない生理の臭いを漂わせた女という肉体のリアリティからの逃亡の成功であり、逃亡し終えた、肉体というリアリティを失った世界だろう。
 おそらく女もそこで同じように肉体と欲情を失い、それはたぶん、やはりオウム事件が暗喩していると思う。あの事件は、女の事件だったのだと私は思う。
 そこから女たちは、男に逃げるか、あるいは、男と同様にメディアに逃げるか、オカルトに逃げるしかなかった。
 生は過酷で、血と糞にまみれている。いやスカトロではないというか、あのお変態の天国はそれはまた違ったものだろうが、もっといえば、赤ん坊の泣き声に満ちたどろどろとした世界だ。その中に、もういちど入って生き返るのだというのが、案外、「真夜中の弥次さん喜多さん」のテーマだっただろう。こちらは映画ではなく。
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合本 真夜中の弥次さん喜多さん: しりあがり 寿
 ぎりぎりのところで、しりあがりは、わかりやすい神話的な構図を描き、それゆえに批評家たちに絶賛されるという不幸に陥った。
 しかし、本当はそこで問われていたのは、あのどろりとした、血と糞と赤ん坊の泣き声に満ちたリアリティだっただろうし、泣き崩れた男が、どうリアルに立ち上がるかというテーマだったのだろうと思う。
 そして、そうした課題のすべてがたぶん、この数年で、本当に消えた。

金田龍之介、死去

 ⇒NHKニュース 名脇役 金田龍之介さんが死去

時代劇の悪役からコメディーまで幅広い役柄をこなす名脇役として活躍した俳優の金田龍之介さんが、慢性腎不全のため31日未明、埼玉県内の病院で亡くなりました。80歳でした。

 いい役者だった。

へぇ

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):世界最古の鉄器、トルコで発見 ヒッタイト起源説覆す - トラベル

 同文化センターの大村幸弘・アナトリア考古学研究所長は「鉄の生産はアナトリア半島で独自に始まり、後に北方から進入し征服したヒッタイト人が武器として利用し、その技術を秘密として守ることでオリエントに覇を唱える帝国を築き上げたのだろう」と語った。

 それほど定説に影響はないのでは。