今日の増田的議論

 ⇒所詮この世は学歴社会
 エントリはどってことなく、そしてレスの継続もとくにどってことないけど、なんとなく話題が続いていきそう。
 ちなみに、日本はいまだに学歴社会。でも、それはそういうのを必要とする生き方をするかというだけのこと。
 学歴にしてもあと家柄にしてもそうだけど、まあ、私の世代以下だと薄れる部分はあるのだろうけど、簡単にいうと、嫁とか旦那とか自由にもてなくなるんですよ。まあ、露骨にいっちゃうと、嫁ならそこそこ美人のお嬢さんだし、旦那ならかっこよくて健康で頭がよいという粒ぞろいなんで、で、ようするにそういう階層の人間でも凡庸だから、そのあたりでサティスファイして幸せなんだけど、でも、本当に自分という意識に、階層性への離反的に目覚めると、すげー不幸になりがち。というか、ちきんと離反できた人は幸せだけど、その中間地帯に、20%くらい不幸の帯がある。
 富と名声を得てそして内面が不幸だけどそういう不幸を感じるのも理不尽だな、まあ、自分の倫理として一生を生きていくなみたいな、鈍く不幸なエリートは多いともいえないけど少ないもんでもない。
 結論、学歴社会っていうのは、大学とかのレベルじゃなくて、OB会とかその上につながって、嫁とか旦那につながっていくところにある。で、それは人の幸せとかとはあまり関係なさそう。

老眼について

 竹熊先生⇒たけくまメモ : 俺がジジイになっていく…
 私は竹熊先生より年上なんで爺になっていくなと自覚はあるんだけど、また、finalvent爺老眼とか腐されるんだけど、そして目は悪いというかある意味致命的に悪いんだけど、そして普通に乱視で近眼なんだけど、老眼って全然ないです。
 近視だから老眼と緩和されているんじゃないか。どっかで一時期均衡点が出たらおもすれーとか思うのだけどそれもない。目が疲れると小さいものが見えないし、他の理由で小さい字が読めないことはあるけど、老眼ではななさげ。
 まあ、これからなるんでしょうか。

好きなことをするということ

 inspired by ⇒「好きを貫く」よりも、もっとずっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
 見る間にブクマが増えていて面白い⇒はてなブックマーク - 「好きを貫く」よりも、もっとずっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
 元エントリについて異論があるわけではない。まあ、人によっていろいろな思いをもって生きているんじゃないか。
 自分については、自分が実践しているというわけでもなく、どっちかというと流されて生きているのだけど、この件について、ひとつだけいつも最初に思うことがある。英語で読んだ本で、子供に向けた本だが、将来、なにをしたらいいかというのに、"love to do"という答えがあった、それをいつも思い出す。
 "love to do"は、単純に好きなことをする、でいいのだが、話のなかでは、"love"の語感を子どもたちに問うていた。簡単にいえば、好きなことをしてそれがあなたの愛の表れになっていること、ということだ。
 あなたの愛の表れとなっていることをしなさい、と。
 でもそれじゃ生きていけないかもしれません、と子供が問い返すと。大丈夫といったふうに答えていた。きっとあなたを大切に思う人が現れます、とも。
 宗教めいた話でもあるんだが、人がこの世界の人やものに自然に注げる愛情として、自分の性向にあったことをし続けなさいということだった。
 まあ、そんだけのこと。
 でも、大人になると、愛の表れとして何かをするというのがとても難しくなる。愛が性欲であったり親族的なあるいは知人とかの利害であったりする。あるいはステーキ毎日食べたいという欲望だったりする。
 愛ってなんなのっていうことになる。が、それについては、「傷つけないようにしないさい」と続けてあった。でも菜食主義者だって植物を殺していると子供が問うと、"least form of killing"と答えていた。他の文脈だったが、害虫や病原菌とかはと子供が聞くと、殺すことがあると答えていた。全体を考えなさい、全体と自分の関わりをその場でいつも考えなさい、教条的に考えるのはやめなさい。と彼は答えた。彼は菜食主義者だったが、ほら、私の靴は革靴ですとも答えていた。

人の心のテンプレというか

 自分が世間観察した感じでだけど、気違いは別として、いわゆる極悪人でも、自分がよい人間だと思われたいと思っているみたいだ。もちろん、やっていることは極悪なんで、社会的によいわけはないが、自分は社会の価値より大切なものがあるんだ、みたいな部分がある。あるいは、気違いの部類だが、よいと思われなくても、自分の欲望に忠実で生きたいみたいな。
 で、どっちも、実は、ある種孤独の変形。極悪人はそれを理解してくれる人を信じたいし、欲望に忠実とか言ってる人もその欲望は孤独の裏返し。
 つうわけで、どっかで孤独に通じていて、そして、孤独は、なんというか、愛情の経済学に通じている。
 愛情というのは、実際的には、身の回りやちょっとその近辺、あるいはメディアで広げたりもするけど、愛情を注ぐ分と見返りを孤独や欲望でバランスしている。
 まあ、そんなもの。
 ただ、それでも、孤独は孤独だし、そういうのって愛ではないだろうなとはうすうす思っているものだし、なんか人生ってなんだろ空しいなという思いで死んでいく。
 まあ、普通にできることはその愛情の経済学を少し次元を変えるとかして、より孤独を癒したり、愛情の素直な表現に近づけるとか工夫はできそうには思う。
 (余談だが、正義の人は最初は愛情が根にあっても、いつのまにかやっていることは暴虐になってしまう。そのトラップに自分もはまりがち。)

シノペックよくやるよなとは思うけど

 ⇒中国石油大手のシノペック、イランで油田開発 : NIKKEI NET(日経ネット):主要ニュース−各分野の重要ニュースを掲載

 イランの核開発問題を巡って日米欧がイランでの投資を控える一方、中国は国連安保理によるイラン制裁に消極的な姿勢を取っている。中国はイランとの経済関係を強化することで、需要が急増するエネルギーを安定して確保する狙いがある。

 ⇒中国石油化工:親会社がイラン油田開発で最終合意 2007/12/10(月) 12:07:44 [中国情報局]

 双方は04年10月に同油田の共同開発に関する覚書を締結。それによると、中国石油化工集団が同油田の権益51%を取得するとともに、09年から25年間、年間1000万トンの液化天然ガス(LNG)をイランから購入する。

 シーレーン問題を中国も抱えるという意味もあるか。