人の心のテンプレというか

 自分が世間観察した感じでだけど、気違いは別として、いわゆる極悪人でも、自分がよい人間だと思われたいと思っているみたいだ。もちろん、やっていることは極悪なんで、社会的によいわけはないが、自分は社会の価値より大切なものがあるんだ、みたいな部分がある。あるいは、気違いの部類だが、よいと思われなくても、自分の欲望に忠実で生きたいみたいな。
 で、どっちも、実は、ある種孤独の変形。極悪人はそれを理解してくれる人を信じたいし、欲望に忠実とか言ってる人もその欲望は孤独の裏返し。
 つうわけで、どっかで孤独に通じていて、そして、孤独は、なんというか、愛情の経済学に通じている。
 愛情というのは、実際的には、身の回りやちょっとその近辺、あるいはメディアで広げたりもするけど、愛情を注ぐ分と見返りを孤独や欲望でバランスしている。
 まあ、そんなもの。
 ただ、それでも、孤独は孤独だし、そういうのって愛ではないだろうなとはうすうす思っているものだし、なんか人生ってなんだろ空しいなという思いで死んでいく。
 まあ、普通にできることはその愛情の経済学を少し次元を変えるとかして、より孤独を癒したり、愛情の素直な表現に近づけるとか工夫はできそうには思う。
 (余談だが、正義の人は最初は愛情が根にあっても、いつのまにかやっていることは暴虐になってしまう。そのトラップに自分もはまりがち。)