大手紙社説より

日経春秋 春秋(10/7)

 どうでもいいことだけど。

たとえば東京駅から隣の神田駅へ、延々と神奈川から埼玉、千葉を回ってたどり着いても運賃は130円。ずいぶん酔狂だけれど、最近は改札内に百貨店も顔負けの「駅ナカ」施設が相次ぎ誕生しているから買い物や食事も楽しめる。むしろ、あちこちの「駅ナカ」巡りを兼ねて大回り乗車をする人もいるという。

 駅ナカの時間はいいんだけど、延々と回るのほうはなんか規定があったはず。

日経社説 混乱踏まえ検定制度見直しを(10/7)

 メインの話はパース。

少なくとも、義務教育ではない高校の教科書では検定廃止・自由化の道を探る時期に来ている。

 私もそういう持論だけど、廃止したとたんに、他の学科がどうなるかの検討はつく。

日経社説 「年金機構」への道は険しいと覚悟せよ(10/7)

 年金の横領問題が尾を引いている。社会保険庁に代わってかつて国民年金の保険料を徴収していた市町村職員の案件について、捜査機関へ刑事告発しない自治体があり、再三にわたって告発するよう要請した舛添要一厚生労働相と対立している。

 なかなかいい書き出し。そういうこと。舛添に政治への色気があったらこんなことしないのに(それほど効果的ではないと思うし)。っていうか、逆鱗に触れて沈没する展開ならそれも私は見物してようかな。俺にとばっちりなしな。

毎日社説 社説:年金着服 告発せずは「公」の責任逃れだ

 地方の「不服従」に対し、舛添要一厚生労働相は、自治体側が刑事告発しない場合には社保庁長官に告発させる考えを明らかにしている。やむをえない措置だ。公務員の犯罪行為は、行政の内部で処分して事足れりというものではないからだ。

 舛添もちょっと口が軽過ぎっていうか、まああれがキャラかもしれない。歳食ったから往時の女キラー感はなくなって損しているな。もっと爺力出さないと。で、毎日の社説のように舛添の言っていることは、普通にまとめると、普通になる。だけど、なんか日刊ゲンダイとか見ていてもバッシングの体勢を整えている、ってか地ならし中。
 そろそろ厚労省バッシングってシステム的にやってんじゃないかと世間が気づくだろうか。ってか、舛添のキャラがダメ過ぎでバランスしているのが泣ける。彼はほんと頭いいんだけど、ま、そういう頭と違うか。

読売社説 高齢者医療費 限界に来た機械的な削減手法

 何言っているのだろうこの社説と思って最後まで読んでお茶吹いた。

高齢者医療費の見直し案が浮上したことによって、消費税率引き上げが避けられないことが、より明白になったのではないか。

 最近読売すごいよね。

朝日社説 死刑自動化―そんな軽い問題ではない

 この問題は難しいよ。

しかし、死刑は国家によって執行される。その責任を法務行政の最高責任者である法相が負うのは当然ではないか。

 ランスロさんだったか、最近まとめて書かれていて感心したけど、この議論っていうのは、わかりやすい線そのものが矛盾しかねない。まあ、でも、この問題は識者は少なくないので、議論を起こせということにはなるだろうな。そういう点では朝日は及び腰っていうか、この問題は空気嫁が本質的な阻害要素だし。

朝日社説 政治とカネ―非公開になぜこだわる

最近もまた、民主党渡部恒三前最高顧問に事務所経費の疑惑が発覚した。政治資金をもうひとつの財布として自由に使っているのではないか。

 あれは前からわかっていたんじゃないかな。そろそろお役ご免ということできっかけにしただけのような。ごお疲れ様でした。じっちゃんのおかげで民主党が折れなかったのだから、老人力ってすごいもんだと思ったし、渡部さん偉いよ。小沢だとなんかもう人間越えているところあるけど、まあ。あとは民主党の内部にああいう人間力みたいのがどれだけあるかだな。菅直人、今こそお遍路だ。

秋晴れ

 台風15号はちょっと変な方向ってことはないけど、微妙な道筋を辿りそう。九州は雨が多くなるかな。
 あたまがぼんやりするというほどでもないけど、特になんにも思わない。
 あれかな、なんとなく、沈黙が少なくなっているかな。人に振り回されるというほどでもないけど。
 ネットを眺める感性はちょっと変わったか。twitterがとまで言わないけど、twitter的というか。交流っていうより、逆に、人が集まって文脈がほどよく形成されないっていうのはよいかも。ああ、普通に俺って理解されてないよね、別に、理解されなくてもいいよね的。ただ、そのあたり、そう割り切れるもんじゃないかもしれないのが、要するに世の中とか他人というのを甘くみるなよってことかな。世界や他者というのは案外、微妙に愛を放っていることがある。微妙なんだけどね。
 話がよからぬ滑りだけど、若い男の子っていうのは、どうしようなくコメコメしてしまうことがあるかもだけど、若い女の子はそうもいかないいろいろみたいのがあり、っていうかあるかのように見えたりいろいろ、でも、そこはあるふっきりみたいなスタンスもありでコメコメご発展というのはあるかもだし、そこを男の子でもわかっている子はいるかもだけど、そういう関係性でも、なんか人生うまくいかないんだよな。男の子の孤独って、まあ、自殺しちゃったなカワイソスっていうのあるんで悲惨は悲惨だけど、女の子の孤独というのは、もったなんかものすごいものがある。ただ、それって言葉には出てこない。っていうか、言葉じゃないものなんだろ。案外その側面では社会的にオッサンというのの役割があるのかも。いや、孤独を癒すというのじゃなくて、なんか、小さな心の安定を微妙に醜く掻き乱すというか。ま、わかんないっていうかむずかしい。

これよくわかんねというかどうでもいいけど

 ⇒沖縄教科書抗議集会、参加者は「4万人強」 主催者発表11万人にモノ言えず (1/3ページ) - MSN産経ニュース
 主催者発表と明記しているので別になんの問題でもないし。
 っていうか、うちなーんちゅーでこんなの問題にしている人いないってば。
 以前からずっとそういう慣例だし。
 なんというか、ナイチャーってどうしてそんなことを話題にしているのか、みたいな。

鬱な増田

 起⇒

今更精神科に通って治ってしまったら、「この10数年間は何だったの?損したね。アホだね。」
と思って惨めになってしまう。

 承⇒http://anond.hatelabo.jp/20071007065642

鬱病はそんなに簡単に治らないから安心しろ。
普通の病院では対症療法しか行わない。
薬で症状を抑えることはできても、鬱の本質となっている心理的な問題の解決はまた別だ。
心理的な問題は解決が難しく、すべての症状に確定的な処方があるわけではない。

 薬によっては副作用とかもあるけど、これも一般論は言えない。
 ↓参考になるよ。

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心が雨漏りする日には (青春文庫): 中島 らも
 鬱病と鬱は、違う。
 鬱というのは人生そのものなんでハイデガーでも嫁。
 鬱病なんだけど、私も過去30年スパンだと2回くらいあったか。心理的なものではないみたいだね。
 むしろ、人生のどっかんという悩み(ただし明白に自分のせいじゃない不運系)が来ると消えるような。
 もしそれがメソッド化できるなら、自分に関心向けないように生きていくものあり。っていうか、ラッセルもそう言っていた。
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ラッセル幸福論 (岩波文庫): B. ラッセル,安藤 貞雄