朝日社説 ブッシュ流 こんな「変身」できるなら

 米国と敵対したリビアが、大量破壊兵器計画を放棄し、見返りに米国などと関係を修復した。北朝鮮でもこの方式を踏襲しようというなら、イランにも応用することを考えるべきだ。

 実質そうしているのでは?

 イランの核武装は中東地域を極めて不安定にさせる。大規模な核拡散の引き金になりかねない。何としても防がねばならない。問題は、それをどうやって達成するか、具体的な政策の妥当性なのだ。

 朝日様になにか秘策でも?

朝日社説 防衛秘密捜査 知る権利が危うい

 特にコメントしない。

 公海上で起きた中国潜水艦の事故がそれほど重大な秘密なのだろうか。米軍からの情報が含まれていたとしても、その記事だけで米軍の探知能力や行動が分かってしまうというものではあるまい。むしろ、中国の潜水艦の動きや事故を知るのは国民にとって重要なことだろう。

 備忘のためメモ。

釣れるもんだなぁ

 ⇒はてなブックマーク - 分裂勘違い君劇場 - プログラマの労働条件を過酷にしているのは、過酷な労働条件を受け入れるプログラマです
 とか、私も釣られているのだけどね。
 こうした問題は、「プログラマとしての自分の労働条件」と「プログラマの労働条件」がその延長にあるかのような議論だけど、ま、略。
 労働市場が機能すれば解決するでしょうけど。
 もうちょっと突っ込むとすると、現状のプログラマの労働条件がひどいなかにこういう基調のエントリがあるとうまく釣れちゃうっていうのは、なんだろとか思う。プロパガンダに近い印象は受ける。
 弾さんは輪をかけてすごいし⇒404 Blog Not Found:プログラマーって本当に労働者なのか?
 なんか、ちょっと閾値を越えているのかな。
 こうした問題を扱うときの大枠というが消えているのだろうな。
 一つには、自分の生き方の問題。
 一つには、社会の問題。
 社会の問題は、自分の生き方の延長のように見えるけど、そこにあるのは無数というか多数の他者なので自分でない、という限界性があり、それが公に疎外される。
 ゆえに、社会の問題は、それゆえの手順を取る。
 単純に言えば、政治の問題。
 だから、単純に言えば、プログラマの労働条件を過酷している社会を政治的に変えるために、個はその市民社会の手順に従って、政治参加をすべき、という理路になるのだろうと思う。(そういう意味でいうなら該当エントリは労働団体を作りましょうという結論もあるだろう。)
 ま、それでは釣れないし。
 それに、政治をそういう市民社会のツールとしてとらえるとき、実際の市民が特定のイデオロギーに吸着されがちな日本の風土というものがある、というか、それがもうある絶望の限界なので、なんとなく自分の状況を他者が変えてくれないか……そして……みんながというなるのかもしれない。
 通称死ぬ死ぬ詐欺なんかも、本当は公と政治の理路を取るべきなのに、推進も反対もそうしない。そしてその中で「命」がもてあそばれる。だが、この問題について言えば残酷なことに一人が救われれば一人が救いのチャンスを逸する構造があり、そこにはそれゆえに正義が求められる。というか、極めて公と正義の問題だった。
 ま、とか、言う私もたいして意味があるわけでもないし、意味があっても困る程度に小さく言う。

衆愚とは思わないのだけど

 というか、衆愚というモデルがどのように設定されるか、私はその方法が思いつかない。一般的には、「俺様は賢者よってこの多数は衆愚」、のようだが「俺様」が賢者であることを示す方法論が求められる。なので、学問的な云々が賢者の保証のように出てくるのだが、たいていのこの構図の問題は、学問が分からないのか馬鹿、ではなく、コミュニケーション的な合意の問題だ。(つまり、「俺様」の問題ではなく学問の合意性の問題。しかし、現実には「俺様」が突出する。)
 というか、衆愚的なものがコミュニケーションの合意のように見えるという状況が変な印象を与えるのだろう。
 とすれば、理路としては。
 地味にコミュニケーションを重ねるしかないとなるのだが。
 まあ、たいていは無駄ということになる。
 その意味では、ブログとかはマジで熱死的なものなのだろう。
 現実問題としては、というか、いちブロガーとして、私が印象としても思うのは、衆愚とかの問題は、その全体に、「これが問題なんだからコミュニケートしろ」的な無名の権力性がある。
 それがどの程度不快かという問題だということか。
 「私はそれを問題だと思わない。私はこれを問題だと思う」という多様性に個がどこまで対峙しえるのか。
 というのは、「私はこっちが問題だと思う」がコミュニケーションへの呼びかけでなくてはならない。
 そうしてみると、衆愚をエポケして「衆愚」とした場合でも、個が、個の多様な呼びかけをしているとき、「衆愚」は捨象されるのだろう。

観客席

 ⇒池田信夫 blog 限界生産性とPPPについての超簡単な解説
 ⇒はてなブックマーク - 池田信夫 blog 限界生産性とPPPについての超簡単な解説

2007年02月16日 fromdusktildawn その不完全競争がレントを生み出し、レントが平均生産性を生み出しているんですよ。現実には、不完全競争こそが日本国内での富の再分配メカニズムを作り出しているんですよ。その善悪はまた別の話。

 それは実感に近い。
 どういうモデルで、どういう議論になるのかわからないけど。
 話を戻して。
 池田氏がマンキューに戻ったところで、山形氏の応答がきっとあるでしょう。
 つうわけで、幕間。
 教科書ベースの話だと、観客先は劇場型勉強になりますね。
 ただ、現実の日本の賃金の問題とはあまり関係ないように思いますが。っていうか、オペラカルメンは恋愛劇だけどあれをマジでやる人は略。

この話のポイントは

 ⇒分裂勘違い君劇場 - プログラマが他のいかなる職業とも異なる決定的な理由は「誰にでもできるつまらない仕事」の生産性にある

さらに、有能なプログラマは、正規表現をバリバリ使って、能率良くプログラムを編集していく。
プログラム開発環境にマクロをどんどん仕込んでいく。
そうして、頻度の高い繰り返し作業は、片端から自動化していく。
 
そもそも、プログラム自体を編集するスクリプトプログラムをよく書く。

 と引用していて思ったが、ようするに、エディタか。
 しかし、最近のエディタは環境かぁ。
 よくわからんくなったか。