日経 春秋(12/29)

明治初年の社格制度で天皇の功臣を祭る別格官幣社として国に保護された護王神社と対照的に、綿向神社の格は下から2番目の郷社だった。除夜の鐘に耳を澄ませ、明ければ近所の神社仏閣に詣でる日本人の迎春の習いを考れば、神仏分離社格制度を基礎にした国家神道には、いかにも無理があった。初詣の下見でそんな感想もあった。

 執筆者、お若いのだろうか。
 まあ、これは野暮の部類でもないだろうから。
 神仏分離についてはまず。
 ⇒神仏分離 - Wikipedia

 神仏分離(しんぶつぶんり)は、神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること。
 その動きは早くは中世から見られるが、一般には江戸時代中期後期以後の儒教国学復古神道に伴うものを指し、狭義には明治新政府により出された神仏分離令(慶応4年(1868年)3月13日から明治元年10月18日までにに出された太政官布告神祇官事務局達、太政官達など一連の通達の総称)に基づき全国的に公的に行われたものを指す。

 ほいで。

神仏分離令は仏教排斥を意図したものではなかったが、これをきっかけに全国各地で廃仏毀釈運動がおこり、各地の寺院や仏具の破壊が行なわれた。檀家制度のもとで、寺院に搾取されていたと感じる民衆がこれに加わった。

 ⇒廃仏毀釈 - Wikipedia

これは決して仏教排斥を意図したものではなかったが、結果として廃仏毀釈運動とも呼ばれる民間の運動を惹き起こしてしまった。

 その狂乱の主体は民衆だった。
 国家の社格制度は古代からあった。
 ⇒延喜式神名帳 - Wikipedia

延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)とは、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた全国の神社の一覧である。延喜式神名帳に記載された神社を、「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。

日経社説 改革路線が陰り「北の核」に震撼した年

 些細な突っ込み。

10月に死去した漢字研究の碩学(せきがく)、白川静氏の「字統」によると、命は神の啓示の意で、人の寿命も「天の与えるところ」からきている。いじめで自殺した子どもたちの天命は、もっと長くて豊かなものだったに違いない。来年はいじめの悲劇を少しでも減らしたい。

 「命」は「令」に同じ。意味は、「指図する」。

毎日社説 いざなぎ超え 実感なき景気はこれからも続く

 そういった成長でも、長続きの成果として税収が予想以上に回復し、財政再建を本格化するきっかけはできた。それは評価しなければならない。ただ、それだけで国民が幸せになるわけではない。経済の土台は内需であり、それを支えるのは家計だ。家計が元気でなければ国全体も元気にならない。

 まあそういう議論もあるのだけど、毎度の国家財政論が急務だ論は何処へ?

まあ、税制は金融政策ではないから

 先日の人事もま。
 しかし、安倍政権はリフレにハンドル切るんじゃないかと思っていたが、外したか。
 ちと関連で。些細な突っ込みでもなく、批判でもないが。
 bewaadさんとこの。
 ⇒bewaad institute@kasumigaseki(2006-12-28)

ちなみに、当サイトで賛意を示しているリフレ政策とは、十分な金融緩和によるマイルドインフレの実現により民間部門の自発的需要を喚起するもので、企業向け減税等を中心とした経済財政諮問会議等でよく交わされている議論とは別の路線を志向するものです。

 リフレ政策が「企業向け減税等を中心とした経済財政諮問会議等でよく交わされている議論とは別の路線」というはベタに論理的にそうだというのはわかるのだが、そのエフェクトとしての民間部門の自発的需要喚起については議論はあるのだろう。
 で。
 「リフレ政策とは、十分な金融緩和によるマイルドインフレの実現により民間部門の自発的需要を喚起するもの」というのが、私にはわからないと言えば、わからない。
 金融政策でインフレが起きるかといえば、これはトートロジーではないかと思う、つまり、起きるでしょ。貨幣現象なのだから。
 問題は、それが原因となって結果、「民間部門の自発的需要を喚起」というのが、いつまでたっても私のわからないところだ。まあ、それでお前は経済学が分からんのか馬鹿扱いされてきたわけだが。
 先日、流動性の罠の釈義で⇒finalventの日記 - あれ? この説明でよいの?
 字引的には。

利子率がある水準まで下がると,人々はこれ以上は下がらないだろうと予想して現金を持とうとするため,いくら貨幣供給を増やしても利子率はそれよりも下がらなくなること。

 まあ、これはケインズ的にもそうか。ただ、日本の状況はその根幹にデフレがあった。
 デフレもまた貨幣現象だというのはわからないでもないというか、これもトートロジー
 で元日銀?

流動性の罠」という概念についてはいろいろな解釈が存在し、若干の混乱もみられるが、ここでは単純に「名目金利に低下余地が無い状況」と定義することとしよう。

 これは自分的にはすっきりわかる。
 ほいで、経済人を合理的にモデル化すると、リフレによって金利低下が発生すれば、自発的需要を喚起なのか?(タンスからの掃き出しにはなるからそういうことか) そしてそれが、民間部門なのか? この民間部門は、家計?
 こういう筋道で考えると、異論があるとか言うなら、経済人を合理的にモデルそのものへの疑問ということになりかねず、それは、ほとんど偽経済学だということにもなるのだろう。
 ただ、現在の日本の状況で、家計部門の需要が金融政策で喚起させるというふうに考えるなら、私は、依然、わからんなぁ、全然、しっくりしないな、生活感として日本戦後史観察として、という段階に留まる。
 (タンスからの掃き出しになれば、バブル以前のように庶民は昔の郵貯のような金利の高い安定したところに寝せる→つまりそれが家計から産業部門への投資、というサイクルにはなるのだろうけど。)
 (しっくりこないのは、日本の経済の主役はサービス産業なのに……というあたりもあるかな。)