明け方ふとリトル・ブッダのことがわかった

 ⇒finalventの日記 - そういえば、先日リトルブッダをTVで見た
 わかったというのではないが、最終シーンで米国に戻り、ラマ・ノルブの遺骨を海に散骨……、このときジェシーの母親は妊娠しているのだが、こうして悲劇に遭った家庭にも東洋の英知を活かして明日にむかって生きていくみたいな見えたのだが。
 明け方ふとわかった。
 なんでこんなことがわかんなかったのだろう。
 あのジェシーの母のおなかの中の子供はラマ・ノルブなのだ。次の転生でジェシーに従って学ぶと言っていたではないか。
 映画はぼんやりと見ていると、ジェシーは転生ではないし、アメリカ人はアメリカ人かと見えるが、そうではなく、ジェシーは転生であり、ノルブもそれに従ったという暗示であったか。
 まあ、そう見なくてもいいのだが。
 こういうことはたまにある。
 カラマゾフの兄弟で、頭のほうでゾシマがミーチャの足下に伏すシーンがあるがあれはミーチャがキリストという暗示であったと、数年してふとわかった。

酒というのはただ飲むから酒というのもあるが……

 ⇒南無の日記 酒は美味いから、絶対、やめん!
 わからないでもないが。
 私はそういう生き方ができなかった(でもけっこうめちゃくちゃか)。
 自分で言うのもなんだが、酒でも女でも賭け事でも私は身を持ち崩さない。どっかで醒めていてただ世界を測量している。それが耐えられなくてさらにのめり込む人もいるのもわかるが、なぜか自分の身体も運命もそれをついには許されなかった、とはいえ、そう長い人生でもないのだろうが。
 「酒は美味い」と言える人のために酒があるのだろうと思う。そのような酒を私は知ることなくこの人生を終えるのだと思う。同じことは女についても言える。
 私にとっては、世界には旨い酒と不味い酒がある。ある程度主観幻想で言うのだが、それが冷酷にわかる人間は酒に向かない(同じことは女についても言えるかもしれない)。
 代わりになにが欠落しているか。
 たぶん、愛情のようなものだろう。
 子供のころからそうだが、いつも孤立していた(と内面的には了解していた)。
 そういう孤立した視点から人々の集団を見ると、単純に狂気と暴力にいかれた人々に見える。というか、人間の集団というのは、本質的にいかれているとしてか思えない。こいつらが語っていることは狂気だし、私を暴力的に排除するのだ、と。もっとも、これはもちろん妄想である。
 子供のころから、こんな世界にどう向き合って生きていくか、苦戦した。
 ツールはたった一つ。私は計測すること。仮説を立てて検証すること。
 人々がなにかをする、なにかを言う。私はそれをすべて仮説とする。私は自分が正しいとは思わない。およそ人々に向けてなにかを言ってもそれを正しいと認めてくれるわけもない。ではどうするか。あらゆる仮説をフラットに並べて計測する。計算する。
 私は私の感性や思考を計測する。私が正しいと出たときは、こっそり世の中に逆らう。世の中が正しいと出たときはこっそり私が折れる。

今日もココログは死んでいる……

 新聞休刊日みたいなもん?
 明日はメンテで死ぬそうだ。
 明日のメンテが失敗してというの期待値は高い。
 どえりゃー待つとエントリがアップできないわけでもないようだが、さて。

料理のコツ

 最長でも20分以内に調理を終えること。逆にいうと20分以上手かかるような料理に手を出さないこと。あるいは手のかからない仕込みにすること。できるだけ調理をしないことが料理のタオ。
 昼飯と朝飯にはさらに10分以内。
 旨い物を作ろうとしないこと。なんど食っても飽きないレパートリーをローテートすること。
 素材のもっとも基本的な性質を理解しておくこと(少しずつでよい)。
 調味料を増やさないこと。和食なら、薄口醤油とみりんだけでよい。
 どうでもいいような料理に凝らないこと。面倒な料理は外食で食え。
 料理のコツみたいなのは無視してよいが、料理の基本はできたらきちんと学べ(霜降りとか)。
 鍋とフライパンにはカネをかけろ。はっきり言ってフライパンで卵焼きの味は決まる。
 浄水器はマジなものを使え(シーガルとか)。水が不味ければすべてだめ。
 化学調味料だ保存料だとかうるせーことを言うまえに味覚を信じろ。逆じゃない。
 カレー用野菜(ジャガイモ、タマネギ、ニンジン)を備蓄しろ。これにキャベツと大根。あとは季節の野菜。
 調理油はオリーブとキャノーラだけ。
 できれば↓買って、使い方を覚えろ。焼けば、たいていのものはうまい。
 

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DeLonghi コンベクションオーブン 190FL: ホーム&キッチン