日経春秋 春秋(5/28)

 ああ、野暮としりつつ……

団塊世代が来年以降60歳定年を迎えだす。2007年問題と言うが、当の人々の内面で1番の問題は、退職を機に半生をどう総括するかだろう。そのとき、伊勢物語が描く業平の半生は一つの慰めとなる。皇孫に生まれ並外れた歌才と美貌(びぼう)に恵まれながら、恋は成らず「身を要無き者に思い」都落ちし果ては老残不遇をかこつのだから。

 当時の人の一生は五十歳くらいでおしまひだったのだよ。

産経社説 食卓の風景 幸福のありかを見誤るな

 ああ、むかつく。

 目を覚ますと台所からトントントンとまな板の上で包丁を使う音が聞こえ、ご飯の炊ける甘いにおいやみそ汁の煮える香りが漂ってくる。そういう朝の光景は一体どこへ行ってしまったのだろう。

 すざけんな。
 俺の親の世代からそんなものはねーよ。駅のミルクスタンドがなんのためにあったのか知らねーなおめー世代が書いているのか、この社説。
 ああ、むかつく。

毎日社説 島サミット 海洋国家との絆深めよう

 しょーもねーな。

 ミクロネシアパプアニューギニアなど南太平洋の14の島国と二つの地域(PIF諸国)の首脳らが出席して「日本・太平洋諸島フォーラム首脳会議」(太平洋・島サミット)が26、27の両日、沖縄県名護市で開かれた。
 島サミットは、日本がこれらの島国の自立に向けた取り組みを支援するユニークな国際会議だ。

 パプアニューギニアが現状どうなっているか知ってこの社説あり。あほかと。
 と思ったら国内報道がねーや。
 参考⇒UNHCR 'barred' from Papua. 26/05/2006. ABC News Online

The United Nations refugee agency says it is concerned about reports of human rights abuses in the Indonesian province of Papua but its officials cannot gain access to the region.
 
The UNHCR's regional representative, Neil Wright, has appeared before a Senate inquiry into Australia's planned immigration law changes.
 
Mr Wright told the hearing the UN has received an approach from Papuan asylum seeker Siti Wanggai, whose daughter has been given asylum in Australia.

読売社説 [南米産油国]「資源国有化で広がる市場の懸念」

 これな。これ重要でっせ。
 あまり日本で議論されないのはなぜかと疑問に思ってきたが。
 読売の議論はなんかちょっとズレているけど。

読売 5月28日付・編集手帳

 ああ、自分の野暮さがOTZだが

楓ちゃん事件の後も、子供が犠牲になる事件が絶えない。「惻隠(そくいん)の情」という言葉も聞かれなくなった。土師守さんの思いが通じない人間が、増えているのではないか

 うーむ。
 ま、なんだこれというか。
 しかし、な、というか。
 字引⇒そくいん 0 【▼惻隠】 - goo 辞書

 そくいん 0 【▼惻隠】
かわいそうに思うこと。あわれむこと。
「―の情」

 字引が言っている以上しかたないか。
 で、なんでこんな用例が昨今でてきたか?とネット見るにこれか。
 これ⇒藤原正彦「日本人よ、惻隠の情を思い出せ」 - 電子書籍はeBookJapan:週刊ポスト
 藤原先生じゃ、古典を読めというのもなんだしな。
 ネットを見ると惻隠の心は仁の端なり

 「惻隠の心」とか「惻隠の情」という熟語は、難しい言葉のようですが孟子の「性善説」とは別に「あわれみの心」という意味で広く常用されているようです。

 というわけで、このサイトはある程度わかっていて、なのに話は一般的な解釈でよしとして話を進めている、ってか、その先はけっこうめちゃくちゃ。
 原典は 孟子 公孫丑・上

孟子曰,人皆有不忍人之心。
先王有不忍人之心,斯有不忍人之政矣。
以不忍人之心,行不忍人之政,治天下可運之掌上。
所以謂人皆有不忍人之心者,今人乍見孺子將入於井,皆有怵綃惻隱之心。
非所以內交於孺子之父母也,非所以要譽於鄉黨朋友也,非惡其聲而然也。
由是觀之,無惻隱之心,非人也。
無羞惡之心,非人也。
無辭讓之心,非人也。
無是非之心,非人也。
惻隱之心,仁之端也。
羞惡之心,義之端也。
辭讓之心,禮之端也。
是非之心,智之端也。
人之有是四端也,猶其有四體也。
有是四端而自謂不能者,自賊者也謂其君不。
能者,賊其君者也。
凡有四端於我者,知皆擴而充之矣。
若火之始然,泉之始達。
苟能充之,足以保四海苟不充之,不足以事父母。

 孟子が惻隠の心を解するに「今人乍見孺子將入於井」とするところに
 おっと、以下略。
追記
 急用から戻る。
 孟子は惻隠の心を解するに、幼児が井戸に落ちそうになるのを、おおっとぉ見ちゃいられないって思う間もなく、子供が井戸に落ちないように救うでしょ、そのココロ、というのだ。
 哀れむというのとは、ちょっと違う。
 やむにやまれぬ、言語以前の心情、というか、本能的な人間の原理性、ってか、心のアルケーに近いものとして考えている。
 日本人は、というか、日本史の言葉の歴史的には、非国民という国民や、非人という人という範疇を作りそれを規範として考えていくが、孟子の場合、惻隠心がなければ、それは人間ではないという、ただそれだけのこと。
 それを持てぇ!とかいうと、孟子の哲学の根幹が成立しなくなる。それが前提としてあるのが人間なんだ、そう人間を考えて、政治はいかにあるべきかというのが孟子の哲学。

っていうか、みなさん今まで知らなかったと申される?ってか。

 ⇒年金不正免除、13都府県に拡大・社保庁長官が陳謝

 社会保険庁は27日、国民年金保険を巡る不正手続きが現時点で判明しているだけで7万6000件を超え、13都府県に拡大していることを明らかにした。同日に緊急招集した全国社会保険事務局長会議で個別案件の洗い直しを急ぎ、週明けに不正の全容を公表する。村瀬清司長官は一連の不正発覚後、初めて記者会見し、「国民に迷惑をかけ、心からおわび申し上げる」と陳謝した。

 リンク⇒finalventの日記 - 朝日社説 社会保険庁 あいた口がふさがらない

ないちゃー様が沖縄の人々の怒りを共有する

 こんなふうに⇒ニュース・ワーカー : 沖縄の人々の怒りを共有する
 私は共有しようなんて思わなかった。
 沖縄人になれるとも思わなかった。
 最初はいろいろ考えた。
 そのうち考えなくなった。なんくるないさぁ。
 ただただずぶずぶ沖縄に埋もれて、溶けていった(暑いし)、そして、十分自分も見失った。
 が……またふつうのないちゃーに戻った。普通かどうかわからないけど、たぶん、普通。
 話が違うが。
 台南に行き、2.28の生き残りの老人と会っていろいろ話を聞いたことがある。泣けた。

今日のひどいもんだなココログ

 ぼやいてばかりでもなんなので積極的に今日は解決策の提言です。
 この手があったか⇒精神異常者の偽善者より愛を込めて: ブログ障害程度、気にするな

で、ここ「ココログ」って今とってもアクセス&投稿問題で評判ダダ落ちなんだね。知らんかったよ、気付きもしなかった、だって障害なんて当たり前じゃねーか、位に障害慣れしてんだもん。

所得と学力

 ⇒親の所得で学力に差?「YES」が75%…読売調査 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 読売新聞社の「教育」に関する全国世論調査(面接方式)で、親の経済力の差によって子供の学力格差も広がっていると感じている人が75%に上った。

 調査は、感想、であって、実態ではないが、たぶん、実態としても差は出てくるように思う。
 で? みたいな話でもあるが。
 個人的には親の所得が関係してくるのは大学院以降のように思う。
 初等教育というか大学入試くらいについては、最近の状況は私にはわからない。入試テクみたいのでけっこう大学に入れるものか?そのあたりがわからない。
 概ねというか、ざっくり言うと、初等教育については、子供の個人差が大きいだろうし、おそらく、遺伝的な傾向が大きく働くと思う。特に、記号操作的な能力(数学とか)や自然観察能力(自然への洞察力)のようなものは遺伝的な能力のように思う。
 いわゆる国語的なものについては、親の言葉が持つ背景・文化が大きいのではないか。それは庶民が低いとかではないが。
 英語についても、ビジネスの英語と観光客や国際結婚とかの英語は全然違うわけで、いわゆる英語教育は後者が目的なんでそのachievementはそんな難しいものでもない。英語教育とかみなさん考えすぎ。
 話がずれるが。
 私の世代より上あたりからすでにそうなのだと思うが、大学を出ても十分に学力が飽和していないというか、きちんと教育されていない、中途半端な教育で社会に出て、そして社会的な能力はそれはそれとして別に付けているという人が多いと思う。
 教育がうまくmatureしてなくて、大人となり親となる、そういう不安定感があるような気がする。で、ここでいう教育というのは近代教育と伝統教育の二つ。
 近代教育という点では、多くの人が具体的な税制や司法を理解しないまま社会人になるのは不幸なことに思えるが、私が言えるほどのものでもない。
 伝統教育については、これはかなり日本のいわゆる教育では全滅しているが社会を生きて、中年を生きていくうえでは重要なんで、それに気が付くか気が付かないか、自己教育していくかというのは、個人的には30歳くらいになにか臨界があるように思う。これは、ごく単純に言えば、親の葬式を出す能力でもある。
 放言めくが、いわゆる昨今のウヨ・サヨというのは、この近代教育と伝統教育のバランスの問題のようにも思える。
 旧印字メディア(朝日だの岩波だの)がメディアの変遷のパラメーターの従属だと思うが、サヨクネットウヨ非難とかするみたいだが、ざっくりみる限り、おめーら世間の常識がないよはサヨク。ただ、いわゆるネットウヨ言説というのは、社会人の言葉にしない本音の部分なんで、言えばというか言説の地平そのものが社会の建前的にサヨク的なんで、つまりその言葉の地平ではサヨク的なものが優勢に見える。ま、それも虚構だし、サヨクの言動が言動として機能しないのはまさに社会の総体を見ればわかることで、社会人はそういうのはさりげなく無視する。
 そういう、ほざいとけてばさというのがうまくできなくなったのは、繰り返すが、メディアの変動の側の問題で、思想とかいわゆるウヨサヨのポジションではないだろう。
 社会人としては、原則(サヨ的)と本音(ウヨ的)で生きているバランスなわけで。