所得と学力

 ⇒親の所得で学力に差?「YES」が75%…読売調査 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 読売新聞社の「教育」に関する全国世論調査(面接方式)で、親の経済力の差によって子供の学力格差も広がっていると感じている人が75%に上った。

 調査は、感想、であって、実態ではないが、たぶん、実態としても差は出てくるように思う。
 で? みたいな話でもあるが。
 個人的には親の所得が関係してくるのは大学院以降のように思う。
 初等教育というか大学入試くらいについては、最近の状況は私にはわからない。入試テクみたいのでけっこう大学に入れるものか?そのあたりがわからない。
 概ねというか、ざっくり言うと、初等教育については、子供の個人差が大きいだろうし、おそらく、遺伝的な傾向が大きく働くと思う。特に、記号操作的な能力(数学とか)や自然観察能力(自然への洞察力)のようなものは遺伝的な能力のように思う。
 いわゆる国語的なものについては、親の言葉が持つ背景・文化が大きいのではないか。それは庶民が低いとかではないが。
 英語についても、ビジネスの英語と観光客や国際結婚とかの英語は全然違うわけで、いわゆる英語教育は後者が目的なんでそのachievementはそんな難しいものでもない。英語教育とかみなさん考えすぎ。
 話がずれるが。
 私の世代より上あたりからすでにそうなのだと思うが、大学を出ても十分に学力が飽和していないというか、きちんと教育されていない、中途半端な教育で社会に出て、そして社会的な能力はそれはそれとして別に付けているという人が多いと思う。
 教育がうまくmatureしてなくて、大人となり親となる、そういう不安定感があるような気がする。で、ここでいう教育というのは近代教育と伝統教育の二つ。
 近代教育という点では、多くの人が具体的な税制や司法を理解しないまま社会人になるのは不幸なことに思えるが、私が言えるほどのものでもない。
 伝統教育については、これはかなり日本のいわゆる教育では全滅しているが社会を生きて、中年を生きていくうえでは重要なんで、それに気が付くか気が付かないか、自己教育していくかというのは、個人的には30歳くらいになにか臨界があるように思う。これは、ごく単純に言えば、親の葬式を出す能力でもある。
 放言めくが、いわゆる昨今のウヨ・サヨというのは、この近代教育と伝統教育のバランスの問題のようにも思える。
 旧印字メディア(朝日だの岩波だの)がメディアの変遷のパラメーターの従属だと思うが、サヨクネットウヨ非難とかするみたいだが、ざっくりみる限り、おめーら世間の常識がないよはサヨク。ただ、いわゆるネットウヨ言説というのは、社会人の言葉にしない本音の部分なんで、言えばというか言説の地平そのものが社会の建前的にサヨク的なんで、つまりその言葉の地平ではサヨク的なものが優勢に見える。ま、それも虚構だし、サヨクの言動が言動として機能しないのはまさに社会の総体を見ればわかることで、社会人はそういうのはさりげなく無視する。
 そういう、ほざいとけてばさというのがうまくできなくなったのは、繰り返すが、メディアの変動の側の問題で、思想とかいわゆるウヨサヨのポジションではないだろう。
 社会人としては、原則(サヨ的)と本音(ウヨ的)で生きているバランスなわけで。