イチホゲ ひろゆきってさすが……

 ⇒元祖しゃちょう日記:小を捨て大を取るためにライブドアを上場廃止にするんじゃないかなぁ。

 さて、ライブドアの売り注文は2億6000万株とか出ているわけですが、東証が1日に処理できる件数は400万件しかありません。
 単純に計算しても65日かかるわけです。

 割り算でわかる!

日経社説 脆弱な構造映した株式市場の混乱(1/19)

東証は19日以降、取引時間を短縮する一方、証券会社に投資家の注文をまとめて発注することで注文件数を抑制するよう要請した。インターネットを利用する投資家の小口注文がシステムへの負荷を高めていることに対応し、投資家に冷静な判断を促すための措置だが、これといった決め手がないのが実情だ。

 アホか日経。
 東証の要請がボケ。

読売社説  [株取引停止]「東証をマヒさせたライブドア」

 引き金は、ライブドアグループが強制捜査を受けたことで、個人投資家が動揺し、大量のろうばい売りに走ったことだった。ライブドア本体には粉飾決算の疑いも新たに浮上している。事実とすれば投資家の信頼を裏切る行為だ。ライブドアの罪は極めて重い。

 ハズレ。

ご指名なんだが

 コレ⇒嫌韓国と嫌コーラ[その他] 真性引き篭もり/entry

 それが本当に滑稽なものであったかどうかは別として、少なくとも僕はそれから底しれぬ滑稽さというものを感じた。より正確に言うならば荒唐無稽さと書いた方がいいかもしれない。
 その第一の理由は、彼ら、即ち嫌コーラ派の30代の女性会社員と嫌コーラ否定派のfinalventは共に「ブログに書くという事は世界を変えるという事である」と、どこかしらで信じており、それを議論の前提条件として織り込んでいるという点にある。

 引き篭もりさんに馬鹿にされちゃったよグスン。

対してfinalventの主張は嫌コーラ自体が間違った行動であり、と王道の批判を行いながらも30代女性会社員に対する決定的な優位性を示すために彼が提示したのがダルフール虐殺である。

 真引きさんのスキームというかこのディスコースでは、「ダルフール虐殺」は、「この世の大きな不正」パラメーターの変数ということで、つまり、真引きさん、ダルフール虐殺に全然関心ないし、そういうことは、ネットワーカーにも関心ないじゃーん、ってことでしょ。
 つまり、このエントリは、「ダルフール虐殺」は、「この世の大きな不正」パラメーターの変数だから、地球温暖化でもいいし、反核運動でもいいし、なんでもいい。
 つまり、finalventがなぜそこからダルフール危機を選びだしているかについて関心ないわけで、それがベースのエントリには、アコージングリー、私ことfinalventも関心ないよってことでしょ。
 だったら、私も、真引きさんのそのエントリに関心ない、というのが、真引きさん(ら)が私(ら)に関心がないこととバランス。フィフティフィフティ、ってこと。安全圏っていうかシールド圏を脱してないよ。
 そして、そのシールド圏は、中国が国連を介してダルフール問題を隠蔽していることに関心がないという圏内でもあるし。
 確かに、そんなもの共同幻想の水準の問題でしかなく、アキュートな対幻想の問題たりえない。
 ああ、オヤジ丸出しで言うのだけど、だから、真引きさんのこのエントリは、60年代70年代と吉本隆明共同幻想・対幻想論でうんざりやってきたことをまたやっているだけなんだと、僕は思うね。懐メロ。
 この領域をメタに論じられるというのは、共同幻想=国家幻想を思想のうちに解体できた者か解体できたと確信した阿呆に限られる。対幻想のなかで大衆の原像は沈黙するからだ。
 でも、真引きさんは、大衆の原像じゃない。ブログなんてゴミだけど、なんらかの社会の表現者というのは、すでに腐れであれ、インテリでしかない。
 大衆の原像は労働して飯食ってオマンコしてそしてガーデニングでもするかゴシップを見るか……。
 私など、吉本隆明に、おめーさんらはインテリだよ、残念だな、と引導渡されたわけだ。対幻想のなかで沈黙する大衆の原像たりえない腐れインテリでしかありえないという自己認識は必然的に共同幻想への発言を含む。

私がダルフール危機に関心もっている理由……

 簡単、他に関心持ってる人が日本にいなさげだったから。
 他にいますか。
 ま、そりゃいるでしょう。国境無き医師団とかもよく情報出しているし。
 でも、きちんと欧米の報道の動向などをフォローしているサイトっていうのは見かけないように思う。
 そういうサイトというかNPOがあって、ちゃんと発言しているなら、お任せしますよ、っていうか、私がとやかく言うこっちゃない。
 ダルフール危機ブログとかありますか。
 私が知らないだけかなと率直に思うので、あったら教えてほしいし、スーダン・ダルフール危機情報wikiにリンクしてほしい。
 突き詰めてしまえば、そんだけですよ。
 でも、私は見かけない。しかも、私には適当だけどある程度のフォローはできる。というなら、私からやるべきでしょ。でも、そんなに熱を入れてるわけでもないから、負担にならない程度。
 理解されてないかもしれないけど、私はスーダンの南北問題についてはほとんど発言していない。問題はワッチしてますよ。でも、こちらの情報はけっこうあるじゃん。
 あんまりいいたくないけど、こうした問題について、私がある一定以上に関与しているのはこの問題だけですよ。
 ただ、この問題に継続的に関心をもち、しかも、他方関心のある国連問題との関連もわかってきて、単純に知的な関心事にもなりつつあります。

あーもうちょっと言うと……

 ナチスの虐殺とか広島・長崎原爆とかああいうジェノサイドが繰り返されてならない、と私は子供心に思った。
 でも、それから、なにかと世界で虐殺はあるわけですよ。
 平和とかいう人たちって、そういう過去の虐殺にはなんか偉そうなこというけど、進行中のにはたいして言わないというか、ぶっちゃけ、イデオロギーきつすぎ。(チョムスキーなんかベ平連時代からフォローしているけどポルポトの時には落胆した。)
 イデオロギーで虐殺を止めるんじゃないですよ。
 なんでもいいから、とにかく、止めるにはどうしたらいいかということですよ。
 で、ルワンダで虐殺があった、十年ほど前。あのとき、この虐殺を二度と繰り返すまいって世界の人が思ったし、私もその端っこの一人だった。
 でも、まさにその回顧のさなかにダルフール危機は進行した。
 でも、日本で報道されてなかったんですよ。
 もちろん、英語では報道されていた。でも、日本ではほとんどなかった。
 で、私にはブログという報道おもちゃみたいなツールがあったわけですよ。そして、少し英語が読める。
 私はブログでちょっと世の中よくなってほしいと思う。私ができるレベルでね。きっこみたいにマスメディアにテポドンみたいなのはやなこった。私は微力にやりたい。
 じゃ、微力にやろうというだけですよ。
 イラク開戦に反対した人と私は思想が違うけど、別段私が優れているわけでもない。
 で、考えというか思想が違うなら、違いを出しておいたらいいんじゃないか。
 そのくらいのことです。
 ちょっと思い入れでいうなら、私は私の子供心を案外大切にしていますよ。

あーさらに言うと……

 私は生きているのもやだなと思ったことがなんどかある。
 裏切ったこともあるけど、裏切られたこともある。
 人に見捨てられたこともあるし、運命に見捨てられたように思ったこともある。
 このまま絶対の孤独のなかで死んでいくのかとなんどか天を仰いだことがある。
 いつだったか、昔のニュースだ。北海道の上空をヘリが飛んでいたら、地上に白い石の連鎖で「たすけて」だったか書かれた文字が見えた。降りたら、人が白骨化していたというニュース。
 ああ、人っていうのはそういうふうに死ぬのだと思った。
 小林よしのりのどの漫画だったか、アフリカで死んでいく子供に人権なんかあるのか。国家が守らなければ死ぬだけじゃないかというのがあった。それは本当だろう。
 ただ、私が納得できないのは、なぜそれが彼らであって、私ではないのか。
 私が私であるというのは偶然以上の意味はない。絶対に。
 神谷美恵子的問い、なぜ、彼らであって私ではないのか。
 でも、ああ、もうダメだ死むぅとか思ったときの私もあった。そんなときは、なぜ私であって彼らではないのか。
 そういう思いというか経験というか、そういうなかで、私は私を救わなくてはならなかった。というか、それに失敗すれば死ぬ。ま、成功しても緩慢に死ぬだけではあるけど。
 で、私が私を救うということは、彼らが彼らではないという思いだと思った。
 私が彼らを彼らではないという思いを持つかぎり、それがどれほど微力でも、私は私を見捨てていないと思った。
 私は、率直にいうと、他者の親切というか愛というのがよくわからん。いや、歳ともにわかるという幸運はあるが。でも、そう言ってても始まらない。私のなかに小さなオリジン(創始)たる愛がなくてはいけない。愛せよとか思わない。
 絶望のなかで死んでいく。それが人間の存在の条件というか必然でしょう。そうでないのは、運がいいだけですよ。私は運がよくて彼らは運が悪い。あるいは私は運が悪くて彼らは運がいい。それだけ。
 そこには、ただ、がちんとした絶望だけがある。そしてその絶望は確実に私を殺す。
 偶然の命が偶然の無に帰るだけかもしれない。
 でも、そうではない、生きていたいなというなら、その絶望に、「やだね」と言わなくてはならない。
 「やだね」というのは、私の偶然性を否定することである。
 ま、こんなこと言っても通じないでしょう。
 ってか、別段言うこっちゃないわけで、なんとか死ぬまで生きているだけですよ。

そういえば一年くらい前……

 ⇒極東ブログ: 新年好! ホリエモン(2005.02.09)

 話がおちゃらけになってしまったし、冷静に見れば、ホリエモンの夢想はただのマネー軍団の看板でしかないのだろう。でも、いずれ裸の王様はくしゃみをする。