ご指名なんだが

 コレ⇒嫌韓国と嫌コーラ[その他] 真性引き篭もり/entry

 それが本当に滑稽なものであったかどうかは別として、少なくとも僕はそれから底しれぬ滑稽さというものを感じた。より正確に言うならば荒唐無稽さと書いた方がいいかもしれない。
 その第一の理由は、彼ら、即ち嫌コーラ派の30代の女性会社員と嫌コーラ否定派のfinalventは共に「ブログに書くという事は世界を変えるという事である」と、どこかしらで信じており、それを議論の前提条件として織り込んでいるという点にある。

 引き篭もりさんに馬鹿にされちゃったよグスン。

対してfinalventの主張は嫌コーラ自体が間違った行動であり、と王道の批判を行いながらも30代女性会社員に対する決定的な優位性を示すために彼が提示したのがダルフール虐殺である。

 真引きさんのスキームというかこのディスコースでは、「ダルフール虐殺」は、「この世の大きな不正」パラメーターの変数ということで、つまり、真引きさん、ダルフール虐殺に全然関心ないし、そういうことは、ネットワーカーにも関心ないじゃーん、ってことでしょ。
 つまり、このエントリは、「ダルフール虐殺」は、「この世の大きな不正」パラメーターの変数だから、地球温暖化でもいいし、反核運動でもいいし、なんでもいい。
 つまり、finalventがなぜそこからダルフール危機を選びだしているかについて関心ないわけで、それがベースのエントリには、アコージングリー、私ことfinalventも関心ないよってことでしょ。
 だったら、私も、真引きさんのそのエントリに関心ない、というのが、真引きさん(ら)が私(ら)に関心がないこととバランス。フィフティフィフティ、ってこと。安全圏っていうかシールド圏を脱してないよ。
 そして、そのシールド圏は、中国が国連を介してダルフール問題を隠蔽していることに関心がないという圏内でもあるし。
 確かに、そんなもの共同幻想の水準の問題でしかなく、アキュートな対幻想の問題たりえない。
 ああ、オヤジ丸出しで言うのだけど、だから、真引きさんのこのエントリは、60年代70年代と吉本隆明共同幻想・対幻想論でうんざりやってきたことをまたやっているだけなんだと、僕は思うね。懐メロ。
 この領域をメタに論じられるというのは、共同幻想=国家幻想を思想のうちに解体できた者か解体できたと確信した阿呆に限られる。対幻想のなかで大衆の原像は沈黙するからだ。
 でも、真引きさんは、大衆の原像じゃない。ブログなんてゴミだけど、なんらかの社会の表現者というのは、すでに腐れであれ、インテリでしかない。
 大衆の原像は労働して飯食ってオマンコしてそしてガーデニングでもするかゴシップを見るか……。
 私など、吉本隆明に、おめーさんらはインテリだよ、残念だな、と引導渡されたわけだ。対幻想のなかで沈黙する大衆の原像たりえない腐れインテリでしかありえないという自己認識は必然的に共同幻想への発言を含む。