ロシア問題…

 ⇒カワセミの世界情勢ブログ: ロシアとの領土問題を考える
 北方領土関連は概ねこういう話ではあろう。
 現実問題からすると、結論はシンプルなのだが、筆禍になりがちなので書かない。
 この点がカワセミさんと私は感覚が違うなと思うところ。

ただこのような現在の基準からすると大胆な外交は、相手が民主主義国でないと極めて難しい。冒頭にも関係することを書いたが、やはりロシア外交の基準の正面は欧州なのである。フィンランドラトビアポーランドルーマニア相手の問題が安定し、穏健で開明的と見られるような外交になるまで難しい。不安定な状況ではカレリアやベッサラビアに飛び火するだけだ。その意味で日露平和条約の最大の障害はロシア民主化後退ではある。

 私はその逆だろうと考えている。理由を書くのが難儀なんのでパスってしまうが…。

今日の新聞各紙社説は…

 民主党党首の岡田が朝日と日経での話題。これは、あれか、ポスト小泉のフカシの一環だろうか。
 あとはなんだろうな。毎日の性犯罪問題が重要といえば重要だが、この問題は日本社会の深いところに関係しているようだし、よくわからんというか、どうもこの手の生臭い話は朝は私は受け付けない。

●日経社説 強まるか岡田代表の求心力

 よくわからない。岡田がそんなに重要なポジションだとも思えない。

●日経社説 消費者利益考え次世代DVD統一急げ

 率直なところよくわからない。レーザーディスクの出始めのころもう一つ変な方式があったが(VHDだったか)、その後、どっちもDVDになった。市場が決めることだと思う。
 むしろ、DVDの価格は市場メカニズムなのに、CDってどうよだと思うが。

●産経社説 高額納税者 人は何を以て安ずるのか

 内容はくだらないのだが、言葉が気になる。「人は何を以て安ずるのか」という表現だ。これはあり?
 まさかと思うが、「あんずる」と読ませはしまい。「やすんずる」でしょ。
 で、私はこれは、日本語だとは感じない。
 保守と言われている産経のこの日本語の語感は間違っていると私は思う。ま、私が違っているかもだが。
 なお、社説中、この用例は2つ。
 1「高額納税者 人は何を以て安ずるのか」
 2「金がすべてという拝金主義が横行する今日にあって、高額納税者の成功をたたえつつも、大金をつかむほかの、そういう生き方に安んずる幸せの形もあることを忘れないようにしたい。」
 語義はgooだと⇒やすん・ずる 4 【安んずる】

(動サ変)[文]サ変 やすん・ず
〔形容詞「やすし」の語幹に「み」と動詞「す」の付いた「やすみす」の転〕
(1)やすらかになる。安心する。
「難問が解決し―・じて寝ることができる」
(2)その状態のままで満足する。あまんじる。
「現状に―・ずる」「小成に―・ずる」
(3)やすらかにする。やすめる。
「如何してか…人民を―・じ候べき/太平記 35」
(4)軽く見る。あなどる。
「汝が們(ともがら)までおれを―・じをる/滑稽本浮世床(初)」

 産経の用例だが、まず、4ではないだろう。というのも文脈からそのような否定的なトーンはないからだ。
 すると、1、2、3だが、産経社説子は、ようするに「人生に安心することで幸せ」と言いたいのではないか。
 言葉というのは、その内容を辞書のように区分分類できるものではないが、「安んずる」というのは、大魔神の怒りをおさめるとか、トラブルを平安にするという意味が基本だろう。
 とすれば、それが「人」や「生き方」にかかるのはおかしいと思う。

●毎日社説 郵政国会 解散・総選挙があってもいい

 コラムとしては搦め手で面白い提言だとは思う。ただ、ちょっとオチが精神論だけでしまらないなぁ。

●毎日社説 性犯罪対策 まだまだ法定刑が甘すぎる

 これは先進国との比較ではそうだとしか言えないだろう。

●読売社説  [憲法改正]「常任委員会の設置を急ぐべきだ」

 単純によくわからない。法学者が埒外のような印象は受けるが。

●読売社説 [商標法改正]「地域ブランド育成の契機に」

 この問題は社会の側の結果だけ見ると滑稽な例ばかり出てくるのだが、その内実や産業の状況はよくわからない。
 ただ、「地域ブランド」というのはそれほどの意味はなく、全体としては、地域の衰退を指しているようにも思うが。

●朝日社説 東京都議会 「伝家の宝刀」抜いたなら

 ディテールがわからいのでコメントを控える。

●朝日社説 岡田ビジョン 意気込みは買いたい

 朝日社説っていつも岡田の先輩風を吹かせたいようだが、なにか人脈があるのだろうか。

ライブドアのブログニュース…

 ⇒[R30]: 【速報】ライブドア、6月初めに「ブログニュース」欄を開設
 ふーん。
 えっと、私のほう、っていうか極東ブログのほうは連絡ないです。1レベルが低すぎ、2反感買っている、さて、どっちかな。ま、1でしょうね。
 先日のユリイカでも極東ブログは鮮やかにスルーされてました。
 と、書くとなにか、極東ブログにはブログ界でプレザンスがあるのだと主張しているかのごとくですが、そうでもなく、そういうふうに見られているのだろうなと思う。というか、アルファーブロガー?とかに選ばれたので、なんかあるプレザンスのような空気もあるのかもしれないが…。ま、自分ではなんというか、自分は自分ですね。
 以前、うんこコメントで、おめーさんのはレベルが低いんだよみたくしつこく言われたが、言われるまでもなくわかっていることでもあるし、そうした問題に対処できるほどの歳でもない。私の限界はここまで。
 というか、少しずつ自分とブログのありかたを意識的にシフトしている感じはある。
 ライブドアブログニュースがどうなるかわからないが、エキサイトの例でいえば、ちょっと表現は悪いが、あれの人気上位を得る手法は確立している。もちろん、結果的には、誰もがその手法を取れば安定的に人気ブログとなるものでもないし(継続には結果的にある種の能力が必要)、率直に言ってその手法を意識的に取ることはすでにある程度の層で常識化していることでもあろうが、くだらないブログを作ることでもある。(というと、人気上位ブログはくだらない、と言っているようで気が引けるが、ま、そういう意味だけでもないですので。というか、世相の流れというか空気がわかるという意義もあります。余談ついでにいうと先日、某リンクだけブログがうざいのでそのリンク先だけダイレクトに選べるスクリプトを書いたけど、なんかそれも虚しいものであった。)
 ついでに、ちょっと言うと、罵倒芸というのは他人の褌ということでもある。
 思いがずるずるとシフトしてくるが、ブログというのは、DBだなと最近思いつつある。書いていけば蓄積されるなにかだ。極東ブログのレベルは低いかもしれないが、ある程度の蓄積になりつつあるのを不思議に思うことがある。偉そうに言うと、流されていくものでないところのブログというのをどう地味に作るかというのは、たぶん、課題だろうし、そういう課題を課題とするかどうかは、生き様ではないけど、ブログの有りようの問題だろう。