はてなQ 今の沖縄の人は、「沖縄」と「琉球」という言葉に対して、どのように感じていますか?また、「沖縄」と「琉球」と呼ばれるならば、どちらがいいと思いますか?

 こういう質問が出てくる時代かぁ。
 大田元知事のような若い米留組がすでに70歳にならんとしている。「琉球政府」「琉球切手」も歴史に移行しつつある。
 琉球切手⇒《 6/ 9付:ふるさと切手「琉球切手50年」の発行》

堀江社長のパニッシュ★Blog

夢や希望を放棄して、すぐに手が届く現実だけを見ることは簡単だ。
でも、何の努力もしないうちから放棄する事は、自らの手でチャンスを握りつぶしていることに他ならないのだという事に気づき、夢を持って上昇しろ!!

 そうよそうよ。

ちょっとだけ資本論…

 気のせいか、いまだに若い人で「資本論」を読もうとしている人がいるみたいだが、なんつうか、やめとけとまでは言えないか。どうせ読んでもわかんないと思うのだが。と、それは知力の問題とか、向坂訳とかの問題以前に、あれ、編纂途中の代物というか、ハイデガーの「存在と時間」みたいに中途半端なもので、なんつうか、こういうとうんこがとんでくるかもしれないが、基本的に、マルクスっていうのは、アダムスミスから始まる経済学とヘーゲル的なドイツ哲学の枠組みからあまり出ていない。もちろん、そこから森嶋みたいなモデルもできるのだけど、それほどどうという理論でもない(と数理経済に詳しくもない私がいうのはいかんのだが、サミュエルソンなんかあっさり切り捨てている)。
 むしろ、ヘーゲル哲学的な伝統をどうやってスミス、リカルド的な世界に接合したのか、また、その基本概念の洗い出しと、資本論の本来構想などの視点から、なんというかある程度、偏見を元に読んだほうがいいと思うが…。
 うーむ、と言ってもしかたないか。

勝P 結果として犯人たちは交渉を一切せずに「処刑」に及んだものと思われれる。

6時起床。イラクにさまよいこんだ青年がどうやら死体で見つかったようだ。結果として犯人たちは交渉を一切せずに「処刑」に及んだものと思われれる。昨日の日記で指摘したようにイスラエルに関連する所持品などから青年は最初からスパイ扱いを受けていたので交渉の余地はほとんどなかったのではないか。それにしても犯人たちのいささか粗雑な手順はこれも昨日書いたようにザルカウィ一派の中でも二軍というか別動隊であった可能性が高い。

 非難したいわけではないが、こういうスベリしがち。

神浦 ここでこの事件を反省してみよう。

今のところは、ほぼ香田さん本人である可能性が高い。非常に残念である。政府が主導した香田さんと自衛隊は無関係であるという主張は通じなかったようだ。
 ここでこの事件を反省してみよう。

 結論先にありき的反省。

日経社説 量的緩和の解除を焦ってはならない(10/30)

 っていうか、これってほとんど無内容。
 ちなみにコレもほとんど無内容⇒中国の利上げは至極当然だ(10/30)
 とま、ウンコのつもりじゃないが、日経なんだから、もう少し書けないものなのだろうか。

毎日社説 物価見通し 金融政策の転換点が見えた

 最近の原油価格高騰の影響もあるが、消費者物価が上昇することの意味合いは大きい。展望リポートでは、「景気は次第に持続性のある成長軌道に移行していくと考えられる」と、先行き楽観的な見方をしている。そうであるならば、日銀は現在、続けている量的緩和政策に終止符を打つための段取りに着手しなければならない。

 毎日ですからね。
 ところで、極東ブログあのエントリのほうは基本的にFTの枠組みを超える部分はなにも言っていない。FTというか欧米はそう見ているし、福井とうまく協調しているな、という程度。その施策がよいかどうかは、私もわからん。というか、その先は言及していない。きちんと読まれていないなという感じはする。ま、話に税の問題を絡めたのがいけないというのはあるのかも。

読売社説 [日銀物価展望]「デフレ脱却への詰めを誤るな」

デフレからの脱却を目指す環境が整ってきたことは間違いない。だからこそ、日銀は詰めを誤ってはならない。

 意味不明。というは、前段で量的緩和を支持している。そして、実質量的緩和の出口はない。

朝日社説 補助金削減――これは対案に値しない

 これはよく書けた社説だと思う。

 各省の対応は三つに分かれている。
 補助金の削減に応じなかったのが文部科学省農林水産省だ。文科省は中学校の教職員給与の負担金8500億円の廃止を求められていた。農水省は治山事業などである。
 どちらも、国が引き続き責任を持つべきだというのが拒否の理由だった。自分たちの補助金は重要なものだから、一切手を触れさせない。減らすのなら、よその省でやってくれ。そういいたいのだろうが、あまりにも身勝手である。
 二つ目は、補助率を引き下げることだ。厚生労働省国民健康保険生活保護などで、国の負担割合を減らそうと言い出した。しかし、補助率の引き下げは、単なる歳出カットありきの発想としか思えない。地方からすれば、補助金が減らされるうえに、裁量の余地は少ない。いいことは何もない。
 三つ目は、国土交通省環境省などが打ち出した補助金交付金化だ。交付金になると、一定の枠内で使い道を選べ、使い勝手はよくなる。とはいえ、交付金をもらうには、そのつど自治体が各省に頭を下げて回らなければならない。
 いずれも、補助金を配る権限を手放したくない各省の本音がありありだ。

 しかし、こういう問題は雑駁にまとめないほうがいいのだが。

朝日社説 国旗・国歌――園遊会での発言に思う

 国旗・国歌のように鋭い対立をはらんでいる問題は、天皇の主催行事である園遊会の場にふさわしくない。
 米長さんの発言に対して天皇陛下があいまいな応答をすれば、そのこと自体が政治的に利用されかねない。陛下が政府見解を述べたことは、結果としてそれを防いだとも言えよう。
 米長さんの発言は「教育委員のお仕事、ご苦労さまです」という陛下の言葉に答えて飛び出した。国旗・国歌問題を意図的に持ち出したかどうかはわからない。もし意図的でなかったとしても、軽率だったと言わざるを得ない。
 東京都の石原知事は「天皇陛下靖国神社を参拝していただきたい」と述べている。靖国参拝は外交にも絡む大きな政治問題だ。とても賛成できない。宮内庁が慎重な姿勢を示したのは当然だ。
 天皇が政治に巻き込まれれば象徴天皇制の根幹が揺らぐ。園遊会発言を機に、このことをあらためて確認したい。

 これはなんなのだろう。朝日としては、やはり天皇に頭が上がらないというか、天皇を出されると、朝日の都合も悪くなるので、予防線ということか。だとしても、朝日も天皇に依存しているのかなと思った。
 もちろん、こんな話題に天皇を引き出すのは間違いだが、今回の場合は、それほど政治がというほどでもない。