2.IV. Healing as Release from Fear

 重要なことが書かれているのだが、編集上やむを得ないのだろうが、混乱した印象はある。クリスチャンサイエンス風に読めないこともない。ただ、Acimはクリサイとはかなり違っている。そのあたりはれいの本にある。
 これ⇒「Healing the Unhealed Mind」、読んだ。 - finalventの日記
 話戻して。
 いくつか主要な話題がある。

The body is merely part of your experience in the physical world.

 Acimの基本ロジックでは、肉体は存在しない。そうであれば、この言明はナンセンスにも見える。このあたりは、ワプニックが奇跡講座入門などで説いているように、レベルの問題である。

The miracle is the means, the Atonement is the principle, and healing is the result.

 「奇跡」は手段である。知覚の修正という意味。
 「贖罪」は原理である。ここが難しいが、贖罪、つまり罪はなかったというのがすべての起点になるということ。
 「癒やし」は結果である。贖罪の原理から奇跡がなされたとき、癒やしは自然に起きるという意味になる。
 が、これが肉体の癒やしなのかというところで、この章が難しい。心のみが創造できるとあるが、心が身体(それは存在しない)を創造するわけではない。
 身体の病気を確信している心を癒すという意味での「創造」である。
 ただ、ワークブックなどからすると、クリサイ的な意味合いは否定しがたいようにも思う。心が正されれば、苦痛は減るというのもレッスンの示唆であった。