2.I. The Origins of Separation

 キリスト教、とくにパウロ的神学がとっている旧約聖書由来的な原罪論を転倒する試みの記述。ぶっちゃけた言い方をすると、アダムの罪は、夢落ち、という話。このあたりのロジックは、率直に言えば奇妙にキリスト教異端的で、それほどこの比喩的な表現を重視する必要はないだろう。要は、原罪が存在しなかったことが主眼である。
 読んでいてはっとさせられるのは、末尾のこの表現である。

Health is inner peace. It enables you to remain unshaken by lack of love from without and capable, through your acceptance of miracles, of correcting the conditions proceeding from lack of love in others.

 病気と健康の話は昨日の「Healing the Unhealed Mind」と同じ。
 はっとさせられるのは、この世界から愛を受けずに生きていても大丈夫だというのだ。奇跡の受容によって、むしろ愛の欠落を変える(訂正)することができるとしている。
 これらの根拠性の原理が"Some miracles may seem to be of greater magnitude than others. "だがここは難しい。