ついでにというか

 ついでにというくらいの意味しかないけど。
 これ⇒「思っていたほど頭がよくなかった」は賢い人が必ず出会う絶望

彼がアドバイスしたのは反吐が出るような自己承認を延命するやり方です。

 というのがわからんと言えばわからなん。まあ、わかると言えばわかる。
 わかる面からいうと、「対象に反吐が出る」というのは、「僕ちゃんはピカピカ」「あたしはキラキラ」という自己主張。これ、5.15の青年なんかもそうだし、日本の近代の病気みたいなものなのな。黒歴史があるからよくわかるけど、その部分では。
 で、これ、全然だめなんだよ。
 じゃあ、「自己承認を延命」してていいのかよ、というと、他者との境界が明確なら、別に自己承認を延命して90歳を迎えてもいいんですよ。
 いきなり本質を言うと、だから、問題は、「自己承認」じゃなくて、「他者との境界」というか、調和状況の維持なわけですよ。
 だからその、つまんねー元ネタに戻すと、「思っていたほど頭がよくなかった」自分、というのは、それで他者との境界を調節していたけど、「絶望」したというなら、そのネガティブフィードバックで調節しなおぜばいいだけのことで、こういうのは初回コントロールはうまくいかないもんなんですよ。セックスと同じで、AV見ててもあれは見せてるだけ、実際は違うもんでとおっさん修辞やめれ。
 だから、「誰か他者との関係性を伴った承認」みたいな、「本当の承認」みたいなもんはいらないわけで、他者との状況制御のフィードバックの技術だけの問題。
 で、この制御は空しいわけですよ、ぶっちゃけ。
 なぜかというと、自己承認というより、人は他者から快楽を得ようとしているわけで、制御しているとその快楽が醒めちゃう。
 なので、実は問題は、幻想から醒めるとかというより、自分のもつ快楽の志向というのをどの程度まで一般的な他者と折り合いを付けるかという、暗い問題になるわけですよ。フコーの生涯とか読むと参考になりますぜ、そのあたり。