毎日 社説:孤立せず、孤立させず 国の形を考える・講和60年− 毎日jp(毎日新聞)

 ちょっと書き方がわかりづらいようだ。

 30年で1世代というから、60年だと2世代になる。敗戦で尾羽(おは)打ち枯らした日本が独立を取り戻したのは60年前の1952年4月28日だ。この日、サンフランシスコ講和条約日米安保条約が発効し、日本は国際社会に復帰した。そして今日、3世代目の第一歩を踏み出す。
 講和と安保は、戦後日本の「国のかたち」を決めた。領土の放棄、西側の仲間入り、東京裁判の受諾。その一方、沖縄を米国統治に委ねたのもこの日である。沖縄は本土に復帰し、来月で40年を迎えるが、今も基地問題の重圧に苦しむ。正の部分も負の部分も含め、戦後日本の歴史はこの日から始まったのだ。

 4月28日沖縄デーは、「沖縄を米国統治に委ねた」というけど、これは沖縄から見れば、本土から見捨てられた日であった。以降沖縄は熱心に日の丸を振って日本に呼びかけたものだった。「沖縄は本土に復帰し」はこの文章からすると曖昧であるが、そちらは5月15日である。実は、この日に今の日本は独立したのである。1972年のことだった。1952年からの日々沖縄は米軍政下にあったため、その間は日本政府の福利厚生からは隔絶されたので、大急ぎで自民党議員たちはその補填に奮闘した。本土の人々は沖縄の年金制度がどうなっているのかすら知らないのではないか。
 「国のかたち」のあり方をみんなで考えると毎日新聞がいうなら、まず沖縄を問い直すことだ。

 対立をもたらすのは互いの疑心暗鬼と誤解である。その意味で、玄葉光一郎外相が提起した日米中の戦略対話は良いアイデアだ。日米中の首脳定期対話が実現すれば、地域の安定に大きなプラスになる。沖縄の米軍基地問題を、そうした枠組みの中で協議することもできる。

 その視点・発想こそが、沖縄を日本のダシにしている、戦前の本土防衛の捨て石とする点で同じだと、多分、毎日新聞は気がついてもいないのだろう。平和を掲げ、基地反対を唱えることが沖縄のためだろうか。中国の核弾頭は沖縄の米軍司令部に向けてある。それをどうやって外させるか? 「日米中の戦略対話は良いアイデアだ」というのだろうか。怒りより悲しみがこみ上げてくる。