37 : Lesson

My holiness blesses the world.
 
 率直にいうと、この感覚はわからない。worldなんて過ぎ去り行くゴミであり、acimも無だと言っているではないか。なぜそれがholyなのか。もちろん、ワークの文脈はわからないではないが。
 "holiness"もよくわからない。ギリシャ語ではΆγιον(ハギオン)で、Πνεύμα Άγιον(プネウマ)と同じ。つまり、聖霊の聖なるということで、これはרוח קדש(ルーアハ・カドーシュ)の直訳。ルーアハというのは息・風であり、天地創造のときの神的な状態でもあり、泥に吹き込まれてアダムができるというあれである。意外と現象的には日本語の「空気」に近い。つまり、人を支配する霊の要因でもある。ヘブライ語ではקדשは、畏怖の意味があり、acimの理解とは異なるようにも思うし、いやそうでもないのかとも思う。
 まあ、そうした知識が私を安らぎから遠ざけているのであった。