Lesson 26 補足

 レッスンの解説部分、冒頭が重要に思えた。

It is surely obvious that if you can be attacked you are not invulnerable. You see attack as a real threat. That is because you believe that you can really attack. And what would have effects through you must also have effects on you. It is this law that will ultimately save you, but you are misusing it now. You must therefore learn how it can be used for your own best interests, rather than against them.

 大内訳⇒レッスン26 私の攻撃の思いは、私の不死身性を攻撃しています。|『奇跡のコース』ワークブック 365日

あなたが攻撃されうるならば、あなたは不死身ではないことは確実に明らかです。あなたは攻撃を実在的な脅威と見なします。その理由は、あなたは本当に攻撃できると信じているからです。そして、あなたを通して結果を持つものは、あなたに対しても結果を持つことになります。あなたを究極的に救うのはこの法則です。しかし、あなたは、今はそれを誤用しています。したがって、あなたはそれをあなた自身の最善に反して活用する代わりに、あなたの最善のために活用するにはどうすればよいかを学ばなければなりません。

 用語はさておき文法的に誤訳ということはないのだけど、たぶん、意味は通じにくいのではいか。facim訳でも似た印象はあった。
 重要なのは、これは法則なのだとされている、これ。

what would have effects through you must also have effects on you.

 facim訳は

 あなたを通して結果をもたらすものは、あなたに対しても結果をもたらすはずである。

 メンター本ではこうwouldを外してリライトされていた。

what havs effects through you must also have effects on you.

 まあ、そのあたりの表現は現代米人にも曖昧なのかもしれない。
 で、私訳は「あなたを通すことで影響を持ちうるものは、当然あなたへの影響を持っている」
 メンター本では以下のnoteがある。

 Your thoughts do not leave your mind, which is where they have an effect. If you believe attack is possible, you will experience it, becase it is an idea in your mind.

 自己了解はそれ自身への受容を前提としている、ということだろう。つまり、受容された、つまり知覚・認識されたものは、それゆえの影響として、"存在化"というか"現象・存在化"するとでもいうことだろう。
 というか、このあたりが、ワプニックがacimのロジックをレベルで分けるということなのだろう。
 世界は存在しない。しかし、身体に受容された世界は、"現象・存在化"する、と。
 だから、知覚・認識の中立化によって、それらは「空」にもどる。あるいは、空なるものが、知覚・認識に現れる。つまり、色即是空空即是色。
 
 acimは二元論を避けているとしても、世界を2レベル化さざるをえないというのはあるのだろう。
 
 さらに、身体そのものがそうしたレベルの現象・存在なら、そのレベルでは、「存在」として扱われうるだろうし、それ自体は、つまり、知覚・認識の恣意性というより、身体そのものの当然の帰結にも近いのだろう。そこからは、肉の復活も、いわゆるacim的なロジックよりはよりキリスト教に近い解釈への道が閉ざされているわけでもないのだろう。ただ、ワプニックはそのあたりを限定的に見ているが。
 
 まあ、こうしたことだからこそ、聖霊は身体を見ない、ということなのだろうな。