21 : Lesson

I am determined to see things differently.
 
 昨日のレッスンの続きということもあって、jacimの訳は「私はぜひとも別の見方でものごとを見たい」となっている。大内訳は「私は物事を違った目で見ることを決意しています」としていた。誤訳ではないが、もうすこし軽く、「私はものごとに別の見方をしてみると決めました」くらいではないか。
 オリジナル説明の説明が秀逸。

You will probably be tempted to dwell more on some situations or persons than on others, on the fallacious grounds that they are more "obvious." This is not so. It is merely an example of the belief that some forms of attack are more justified than others.

 ある種の怒りが強いためにそれに注目してしまうかもしれないが、その内的な怒りが強いのはそれが正当化されているにすぎず、軽微に見える怒りが重要である可能性もある。このあたりのacimのインサイトはぞっとするくらいすごい。
 例えば、私は、acimのせいということもなく、たぶん老化の一種だろうが、あまり怒らなくなってきた。が、どうも怒りを上手に抑え込んでいるという側面もありそうだ。
 このあたり、ワプニックが説明していたが、内在化された怒りというのはよくあるセラピーものように表出すればよいというものでもないだろう。怒りの自覚というのは怒りであり、循環しかねない。