終風日報編集後記 遠くて近きもの、男女の仲

 トップが文字化け。続く記事が英語。読めたものではない。グロ写真とまでいかないまでも編集以前の状態である。申し訳ない。設定を見直した。▼気になる話題はといえば、超円高か、それとも「男性に察してほしい女の子の建前9パターン」か。後者だろう。読んでみる。「デートコースはどこでもいいよ」の本音は「私の好きそうな場所じゃないと嫌」とある。幼稚な話だ。▼遠くて近きもの、人の仲。つまり男女の仲である。本音を秘めての男女の付き合いは、男女の心の距離も示すが、これもまた序破急の差がある。同記事のように幼い「序」の駆け引きで終わるのは、損得がらみ。それもまた男女の仲には違いないが、それが破れる「破」の時期があり、そこから恋愛が始まり、「急」のなかで男女の仲の本質が現れる。そうなってなお本音が消えるというものでもない。▼長く慎ましい結婚生活をしている夫婦が、お互いの関係を「空気のようなもの」と言うことがある。あると気がつかないほどだが、なければ生きられないというのである。それも稚拙な嘘だ。女の建前も男の建前もどこまでいっても解決するところなどありはしない。▼「かたづいたのはうわべだけじゃないか。だからおまえは形式ばった女だというんだ」「じゃどうすれば本当にかたづくんです」「世の中に片付くなんてものはほとんどありゃしない。いっぺん起った事は何時までも続くのさ。ただいろいろな形に変るからにも自分にもわかなくなるだけのことさ」▼夏目漱石「道草」より。表記をすこしひらいただけだがそのつぶやきは今も変わらない。清少納言は遠くて近きものに極楽も挙げた。男女の仲は死んでかたづくと読みたい。