快晴

 外が妙に明るく、カーテンを開くと新緑が眩しい。初夏のようだと思い、まさに初夏じゃないかと苦笑する。なにかが心を刺すように訪れようとしている気配を感じながら、それをうまく引き寄せることができない。若さのつらさのようなものに、いつも別の心が警戒している。
 その前、まだまどろみのなかで、頭のなかに自然に流れる歌を聴いていた。ユーミンの曲だった。ああ、そうだったかと自分は思っている。先日知った新曲の「ひとつの恋が終るとき」が呼びかけている対の曲があったはずだがそれはなんだっただろうと思っていたのだったが、この曲だったかと。「情熱に届かない」。
 ⇒YouTube - 松任谷由実 情熱に届かない〜Don't Let Me Go

描いてよ、あのときの空
あなたの胸にもう一度だけ
白いキャンバスが燃えるほど
I want to、I want to know
失くしきれない あのときの夢
いつか情熱に届きたい

 若いときはそうした「情熱」みたいな存在が自分より前にあった。けど、そのようには生きてはいけないという形で生というものが描かれるなら、失恋というのは必然なのだろう。
 「ひとつの恋が終るとき」ではそれが、自分が先に立って生きていく形を描いているようになる。

強くなるもっと強くなれば忘れずにいられる
つらくてもきっと後になればやるせなく思える

 聞き返していて、あたりまえだが「ひとつの恋」の含意に気がつく。それは、「後になればやるせなく思える」なにかなのだろう。そのように「私」が意志のもとに取り残される。
 多分それも孤独というののひとつの形なのだろうと思うし、そのあたりから僕なんかには見えない他者たちの多様な人生があるのだろうと思う。
 これには笑った⇒YouTube - キリン ラガービール CM1991年 二人の青春 青春篇
 今の人が見てもこの映像の、彼女の眉毛に吹き出すのではないか。あるいは、男の純真さみたいのに辟易とするか。ああいう時代だった。
 ただ、私は、と私になるが、1991年は私の青春ではない。私はもっと古くて嫌になる。