今日の大手紙社説

 エジプト争乱が依然話題だが、意外となんの進展もない。ブログで書いた以上の展開といえば、オバマ大統領が泡吹いているというくらい。
 酒井さんはそれでもさすが⇒エジプト:軍とイスラム勢力にまつわる「誤解」 | 中東徒然日記 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

「ムバーラク政権の独裁に反対する民衆に、軍も共感し、反政府勢力のムバーラク下ろしが勢いを増しているが、野党のなかで最も強力なイスラーム主義のムスリム同胞団が新体制下で支配的になり、イランのようになるから危険だ」――。これまでの報道振りをまとめると、こんな感じだろう。だが、このロジックに強い違和感を覚える。

 逆にこの反政府運動は、ムスリム同胞団を含めた既存の野党、政治勢力と距離を置いているようだ。デモ中心となる「4月6日運動」とは、2008年に始まった、緩やかな無党派反政府ネットワークだが、彼らは昨年の人民議会選挙で既存野党に共闘を呼びかけられたが、どことも共闘せず、選挙にも参加しなかった。反ムバーラクであると同時に、既存の政党のあり方にも疑義を投げかけているところが、この運動の新しいところである。なので、反政府運動の拡大=ムスリム同胞団の強さ、ということには、決してならない。

 まあね。

 ムバーラクとガマールが去ったとしても、支配エリートとしての軍の特権を失わないように、どう振舞うべきか。それが、民衆の反感を買わないデモ対応につながった。そう考えると、結局のところ、今のエジプトで起きていることは、支配層が「しっぽ」ならぬ「頭」だけ切って、生き延びていこうとしているように見える。軍や警察が姿を消すと略奪が起きるよ、というのも、存在意義をアピールする材料だ。

 そういうこと。

 政権打倒を求める民衆パワーは、東欧の民主化革命や一年半前に民主化を求めたイランの緑の運動にように、これまでのアラブ世界にはまれな新しい市民運動である。だが、転覆後の政権作りには、これまでと変わらず、国内政治エリートの特権維持と、地政学上の利害関係を第一に考える欧米諸国の外交政策が、決定要因として機能している。この動乱と熱狂、興奮は、新しいワインを古い袋に入れて収拾されるのだろうか。

 そういうこと。