釣られちゃうんだけど間違い指摘しておきますよ。

 これ⇒失業者マックス・ヴェーバー、負け戦から「天職」をつかむ:日経ビジネスオンライン
 簡単に要点だけ指摘すると。

だから、失業者ヴェーバーの心を苦しめたのは、神経疾患だけではなかった。
「オレは『天職』を持たない男、つまり、やるべきことをやらない失格者だ」。
きっと自分で自分を蔑んだ。

 それ日本語の「天職」。ヴェーバーが「天職」というときは、現在の仕事を神がこの世で定めた仕事だと思って、不平を言わず専心しなさいということ。

つまり、「生涯を終えるまで堅く信仰を守り、キッチリと義務をこなし続けること」だけが救われる人の証拠なのである。ならば、信者はそうするしかない。

 まあ、「証拠」と言えないこともないけど、ちゃんと引用のところを読めばわかるけど、確認なのな。自分が、信仰が守れたということは神が自分を選択したことの自分なりの確認。

 信者たちは生活全般を「合理化」する、つまり非合理的な衝動を抑え、計画的な意志に従って管理しようとするだろう。
 合理化か、……そうだ、どんどん合理化すべきだ。
 神は世界を理性的に創ったのだから、人間が理性的に、つまり合理的に生活することは神の意志に沿った振る舞いだ。生活の合理化は、神の栄光を増すことになる。

 計画性=合理化、と理解しているけど、この合理化というのは、合目的性のこと。これは専心の結果であって、デカルトとかの理性とは違う。

しかし、ここでいう「禁欲」は違う。
気を散らさないように不必要なものはカットして、神の栄光を増すことだけを徹底的にやる。

 これは合ってる。

人が邁進すべきなのは、組織的で合理的な職業労働である。
……こうしてカルヴァン系の教義から、資本主義のエートスが導きだされた。

 ここは粗雑過ぎ。というか、天職の概念を間違えているので、変な話になっている。
 プロ倫を通して形成された合目的性のエートスが資本主義を導くということ。
 あと。
 結論のエッセイはとんちんかん。
 プロ倫が「宗教社会学論集」の序論に当たることがまるでわかってないんだろうと思う。
 なんかいやみな批判をするみたいだけど、プロ倫はきちんと読んだほうがよいと思うよ。
 ⇒[書評]プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー): 極東ブログ