未明かと思い、時計を見ると六時を過ぎていた。これで朝なのかと思った。雨音を聞いているうちに目がさめてきたので少し坐禅をする。このところなんとなく坐禅をよくする。あまり形にこだわらない。また質にもこだわらない。ただ、だまって座っているというだけのことだ。只管打坐を洒落にしたようだが、ただ座るということがとても大切になっている。夢は覚えていない。