democracyというのは権力を分散させる制度なのだが

 ⇒東京新聞:政調機能 政府に移行 政策決定を一元化:政治(TOKYO Web)

 民主党が政府・与党一元化に向けて検討していた政策決定システムの全体像が十八日、明らかになった。党政策調査会に政策分野ごとに設置された部門会議を廃止するかわりに、与党議員が政府側と議論したり、政策提案する場として、各省庁に「政策会議」を設置する。
 新たな政策決定システムは、小沢一郎幹事長が十八日、党の全所属議員に通知した。

 これだけ読んでいると、行政内に限定されるようだけど。

 通知は「政策調査会の機能はすべて政府に移行する」として、政策立案・決定を政府に一元化すると宣言している。

 問題は「政策立案」が、立法とどう関わるか?
 ⇒民主、政策決定を政府に全面移行 各省に議員参加会議 - 47NEWS(よんななニュース)

 これに伴い、一般行政に関する与党の法案提出は基本的に認めない方針。ただ選挙や議員の政治活動など「すぐれて政治的な問題」については党側で議論、決定し法案提出するとしている。

 これ、「一般行政に関する与党の法案提出は基本的に認めない」というのは、限定は付くけど、日本の民主制度とか関係ない党規則で立法権を事実上拘束してしまうことだよね。
 これはかなりあかんのじゃないか。
 こうなるとは思えないけど⇒全権委任法 - Wikipedia

全権委任法(ぜんけんいにんほう、独: Ermächtigungsgesetz)とは、非常事態に立法府が行政府に立法権を委譲する法律。

 原則として立法権を行政府に委譲したら、歴史が教えるように、democracyは死ぬのだが。
 小沢通達⇒南部義典の国民投票つれづれBlog ―18歳成人 調査研究の日々―:■政府・与党一元化における政策の決定について - livedoor Blog(ブログ)

2009年9月18日

 民主党・会派所属国会議員各位 
 関係 各位
 
 政府・与党一元化における政策の決定について
 
 幹事長 小沢一郎
 
 日々の党務ご精励に敬意を表し、感謝申し上げます。
 鳩山政権発足にあたり、政府・与党一元化における政策の決定について、別紙の通りとすることといたしましたのでご報告申し上げます。
 議員各位におかれましては、必ずお目通しをいただきますようお願いいたします。
 
 (別紙)
 
 1.民主党「次の内閣」を中心とする政策調査会の機能は、全て政府(=内閣)に移行する。
  ①一般行政に関する議論と決定は、政府で行う。従って、それに係る法律案の提出は内閣の責任で政府提案として行う。
  ②選挙・国会等、議員の政治活動に係る、優れて政治的な問題については、党で議論し、役員会において決定する。その決定にあたっては、必要に応じて常任幹事会あるいは議員総会で広く意見交換を行う。従って、それに係る法律案の提出は、党の責任で議員提案として行う。
 2.各省政策会議
  ①副大臣が主催し、与党委員会所属議員(連立各党)が参加する。その他与党議員も参加可能とする。  
  ②政策案を政府側から説明し、与党議員と意見交換する。
  ③与党議員からの政策提案を受ける。
  ④提案・意見を聞き、副大臣の責任で大臣に報告する。
  ⑤政府の会議として、議事録要旨の公開など透明性を確保する。
  ⑥政府の会議なので、団体ヒアリング等については、対象の選定基準と
   与党議員の発言に十分留意する必要がある。
  ⑦部門会議は設置しない。
 3.大臣チーム
  ①大臣・副大臣政務官で構成。
  ②各省政策会議で、提案・意見を聴取し、大臣チームが政策案を策定し、
   閣議で決定する。

 微妙。「それに係る法律案の提出は内閣の責任で政府提案として行う」は、立法権を侵害している印象はある。
 報道⇒YouTube - 小沢幹事長名で党所属の議員に配布した内部資料
 ⇒時事ドットコム:新人が国会活性化を=衆院正副議長が就任会見

衛藤氏も「新人議員がたくさん当選し、議員立法がたくさん成立することを期待している」と語った。

 2005年9月から2009年7月までの国会で30本(衆議院議員第1位)の山井和則議員はどうお考えなのでしょうか。⇒プロフィール | 民主党 山井和則 衆議院議員(京都6区 4期)
  自民党でもそうだったという意見もあるが⇒asahi.com(朝日新聞社):民主、議員立法を原則禁止 全国会議員に通知 - 政治

 民主党は、自民党政権では党内の事前審査を経ないと政府が法案を提出できないといった弊害があったとして、政府・与党一元化を主張しており、すでに党政策調査会の廃止が決まっている。

 ただ、これ、会議でそれなりの独立性はあったと思うが。
 例外もあるというが。

 議員立法が認められる例外として「選挙・国会など議員の政治活動に係る、優れて政治的な問題」にかかわる法案とした。公職選挙法政治資金規正法の改正案といった「政治とカネ」の問題に関連する法案などが該当するとみられる。

 それでも。

 ただ、議員立法がこうしたケースに限られ、原則禁止されれば、超党派や党内有志による立法活動ができず、政策決定の幅がこれまでより狭まる可能性がある。例えば、改正臓器移植法水俣病救済特別措置法など今年の通常国会で成立した弱者救済にかかわる法律は有志議員によって成立にこぎつけた。臓器移植法党議拘束を外すことで採決が可能になった経緯もある。だが、議員立法の原則禁止により、こうした法案の提出が難しくなる恐れがある。

 
追記
 ⇒はてなブックマーク - はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):民主、議員立法を原則禁止 全国会議員に通知 - 政治
 この話題、表向きは党派の決まりだから立法府と行政府の一体化の問題ではない、朝日が指摘しているように自民党でも実質同じだったといった擁護論も可能だし、また英国ではこうしたものだろといった擁護論もあるかもしれない。が、米国では現状のように大統領が民主党でもまた議会が民主党優位の政権でも民主党議員を拘束できないことや、ここはどうも誤解されているようだが、日本の場合利権団体がそのまま悪とされるが極論を言えば民主主義とは利権団体の争いであってよい(だからdemocracyはたいした制度でもないと言われうる)。というかその多様性を保持し、権力を分散するシステムでもある。その多様性を現実的に封じていくところへの危機意識にdemocracyの本質的な意味がある。ただ、昨今のネットの状況では、すべての問題が政局の構図、自民か民主化、あるいは左派か右派かという単純な構図に還元され、それ以外をその双方から排除する動きが際立っている。
 ⇒[書評]今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹): 極東ブログ

 仲正が取り上げている、現代日本の政治思想のわかりやすい一例には「格差社会論」がある。現実の人間には、社会的地位、学歴、技能、コミュニケーション能力など多面性があり、格差の形成も多様な形態を取っているにもかかわらず、ひとたび思想として「人間らしい平等な生活」といった枠組みが提示されると、それだけから「格差社会と戦わなければならない」という至上命題が現れる。数年おきに起きる通り魔殺人事件が、さも現代の格差社会の結果のように真顔で論じられたりもする。こうなれば政治思想といっても、もはやその主張の党派に入るか否かだけが問われているにすぎない。党派的な「善」や「説明」が希求されれば、「格差とはどのようなものか、なぜ格差が問題なのか」と多様性を志向する議論自体、排除されるべき対象とされ、対立する集団の利権の争いのような政治性に帰着してしまう。あるいは、政治性が先行して思想が類別されるようになる。
 アーレントの思想が起立するのは、こうした「政治性」こそ政治ではないのだする指摘においてだ。アーレントによれば、政治とは、人が公を存在の部分を負って公の場に現れ、多様な議論を形成することにある。複数の主張が公において息づくことが政治だとするのだ。アーレントの政治観からすれば、党派的な命題だけが宗教的に問われる現代日本の「政治」議論は倒錯的だ。さらに、「格差是正は無条件に正しい」といった「善」の倫理は、一つの世界観を提示することで、不安に駆られた大衆を理想に導く「思想」となるが、その「思想」の担い手はマックス・ウェーバーが「世界観政党」と呼んだものであり、その政党性こそ全体主義に至る階梯にある。