たしか吉本隆明も選挙に行ったことないと言ってたような、村上春樹もだったかな

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 個人的には、そういう人がいても私はいいんじゃないかな、どうでもいいというか。ギリシアみたいに無投票に罰則がある国でもないし。
 ただ、読んでみると、ちょっと別の点からいだけないかなとは思った。

教養もなく良心もなく品もない、アリンコほどの思想も持たない利己的な人たちの票が集まったところで、今のこんな状況から何がどんだけよくなるのか。

 その当たりで、国というものへのなにか幻想があるように思うんだよね。そして幻想に幻滅したから投票に行かないという理屈というか。
 私は、そんなふうに国のことを考えなくていいんじゃないのと思うんだよね。
 ちょっと比喩がまずいけど、立ち小便はまずいから公衆便所だよね、くらいの1票でよいんじゃないか。国との関わりなんてそのくらいじゃないか。

おれらが民主主義を選んでやっていく以上、この国でそれ以外の未来図は描けない気がする。

 「この国」ってあまり考えなくてもいいし、民主主義にそれほど価値を見ない人がいてもいいんじゃないの。っていう自由が認められないとまずいなとは思うけど。

それに、もしあなたがバカじゃないとしてもさ、例えばでかい客船に乗ってて、船は沈みかけてて、しかも自分以外の多くの乗客は破滅を望んでるっていう状況の中で、多数派に抵抗して船をどうにか救おうとしたって、そんなのたいてい無理じゃんか。そんならせめて自分にとっての残された時間をどれだけ有意義に過ごせるかを考えたほうがいいんじゃねーの、というのが今のおれの正直な気持ちです。

 それは同意。

自分に子供がいたりしたらまた違うのかもしんないけどね。おれは死んだら終わりでいいです。さよなら。

 で、数年後に子どもがいたりすることもあって、そして、意見をころっと変えていることもある。
 っていうか、死んだら終わりでいいやって言えるのは、ある意味若い特権だと思う。年とると、実際に他の選択ないし、生きていることと死んでることとさして差はなくなってくるし、あと、意外と後悔みたいなねじれた形で、人生に関わってしまうことがある。
 まあ、死に際っていうほどでもないけど、自分の死の形っていうのは、いずれ向き合うし、そのあたりから、もしかすると共同生というものへの向き合いが変わるかもしれない。死ねば灰になると豪語する人も、自分の屍体は誰かに片付けてもらうんだし、そのことを恐れていろいろ工作したりするほど自我に自惚れもっちゃったりするし。