50歳までに読んでおいてよかった本?

inspired by 404 Blog Not Found:40歳までに読んでおいてよかった40作
 なんだろ。
 私は、毎度言っているけど社会的には人生失敗したなぁというクチなので、あれ読んでおいておくと、人生成功してよいよというな本は、原理的にない。なんとか苦しいなか生きるよすがになった本というのはある。これらはすでにブログとかにも書いている。まあ、その手の話題にするとリスティクルにはならない。
 小林秀雄が言っていたことで、正確な言葉ではないけど、全集を隅から隅まで読みなさいというのがあった。たしかにそういうのはある。それに類することでいえば、私は、小林秀雄山本七平吉本隆明、をかなり読んだ。吉本は社会に出てからだが、小林や山本は10代からずっと読んでいる。この三人については早世ではないので、自分が年を取るごとに、読みの深みが出てきて、学恩というのでもないが、書籍を通して知る師への感謝の気持ちのようなものはある。が、その徹底して読むというのと、ずっと読み続けて、この三人から、私は恋愛や性の微妙な部分を間接的に学んだというのはある。小林と吉本については派手な、世間迷惑な恋愛をした。山本はその逆のようだが読み続けると微妙な部分は感得されてくる。人生のある微妙な部分は、親や親族、地域など具体的な人を通して学ぶところと、それでも学びきれない部分はある。ああ、森有正もそうか。
 書籍という話に戻ると、50歳まで限らす40歳でもそうだが、日本人なら徒然草を読むとよいかなというのはある。法師がこれを書いたのは、というか、このなかで描いている自分は40歳くらいまでとしているようだが、微妙に50歳の視線がある。昔の人なので現代人の40、50歳とは違うだろうが、そのあたりで、なんというのか、子が大人になる、死が見える、女があわれに愛おしくなるような微妙な感性の境界があり、そこを越えた視線がある。法師が徒然草を何歳まで手を入れたかわからないが、50代では放していたかもしれない。
 現代人が徒然草をどう読むべきか。そこはわからない。私は僥倖というか、古文が日常語と連結してかなり読めるようになった。というか、鎌倉時代までは現代日本語の延長として感じられるようになった。
 ⇒極東ブログ: 「徒然草」を読む
 それを多くの人に求めるというものでなければ、現代語訳となるのだろうが、よくわからない。徒然草はTips的に読める部分もあるし、そう読んで終わりになる面もあるだろうが、40歳を越えないとわからないものに出合うというのはあるだろうと、現代語訳であれ、とは思う。
 聖書をよく読んだ。それでも読み足りないとはとは思う。だが、これは、率直に言えば、私の運命がこれを読ませるような仕掛けだったのだろうという感じがして、人に勧めるというものではない。
 おっと、野暮用。
 唐突だけど。

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シッダールタ (新潮文庫): ヘッセ, 高橋 健二
 または
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シッダールタ: ヘルマン ヘッセ, Hermann Hesse, 岡田 朝雄
 をなんとなくお勧めしたいか。
 哲学的なところじゃなくて、女、子どもという文脈の含蓄から。
 
追記
 ヘッセがこれ書いたのは何歳頃だろうかと見るとに、45歳くらいか。なんかすごく納得するものがあるな。文学としては、ただの駄作だが。
 そういえば、ヘンリー・ミラーがこの本を薦めていたな。
 
追記
 ⇒はてなブックマーク - 50歳までに読んでおいてよかった本? - finalventの日記

mangakoji 何が伝えたいのかまとめてから書けばいいのに。 2009/08/17

 で、何が伝えたかったわかった? わからなかったら弾さんのリスティクルを読んでおくだけでよいと思うよ。
 ⇒10さいまでによんでおいてよかった10さく - riverrun past...
 その風味だとこれかな。

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がいこつさん: 五味 太郎