毎日社説 社説:アイヌ懇報告書 共生の空間を作ろう - 毎日jp(毎日新聞)

 この問題はわからないと先日来書いているので特に言及することはないが、現実問題としてこのフレームワークでのアイヌ民族日本国籍なので、その市民の、プライバシーとしての隠蔽性というかは普通に健全に機能すればよいかと思う。つまり、アイヌ民族であるアイデンティティーの公的な表示は個々人にはプライバシーの問題でよいかと思う。誤解されてもなんだが、公的な部分からのアイデンティティー、つまり、公における自己民族同定性みたいなものは、普遍的な個人のアイデンティティーの下位にないと、個人のアイデンティティーが抑圧されることになりがちだ。一人のマジョリティの市民がマイノリティの市民に接するとき、その接面は普通に市民としての友愛(この言葉も変な色合いになってしまったが)によるもので、そうではない介在性は友愛を損なうというか、国家や民族より大切なものによって個人が存在する自由の問題に関わってくる。
 まあ、これは思想の難所というべきもので、とても難しい。現実的には市民が多様な友愛の動的な関わりのなかで構築されるべきものだが、それはセクト、つまり、マジョリティの中のマイノリティ的ルサンチマンの隠れ蓑的欺瞞に作用しがちでその病理の類例は所々に見られるものだ。または、この社説のように、市民原理の友愛の外部に、一種マイノミ的保護の議論傾向を持つ。
 思想に詳しい、あるいは詳しく語るということと、思想を生きるということの大きな差異が現れやすいところでもあるが、この問題は米国ではかなり議論されてきた。
 ⇒「 黒い憂鬱―90年代アメリカの新しい人種関係: シェルビー スティール, 李 隆, Shelby Steele: 本」