特にこれといったことではない愚痴というか、愚痴とも違うか、まあ、そんな感情みたいのがある。のは、いくつかおっくうだった事務的な作業をしたからでもあった。眠りが浅い。夢は覚えていない。若い人から見れば「爺」はそうだが、内面ではどうも年齢というのが受け入れにくい。いつまでも若くいたいという阿呆はことではないが、どうにも老人になっていく自分というのがうまく受容できない。これは、思春期に大人になっていく自分が受け入れられない、人生の蹉跌が受容できないといったものと似ている。精神的な問題ではないが、世界も人生経験もすべて仮構といった感じもする。幸い、病的なものではない。普通に、ああ、自分はこうして擦り切れて死んで、意識も存在も消えるのだろうな、と。不満があるわけでもない。そもそも、この時代に生存して、存在していたことが不思議だ。なぜ、私は存在しているのだろうか、という問いと、私は存在していたのだろうか、という問いを発することができない奇妙さがある。まあ、これもまいどのことだ。