今日の大手紙社説

 盧武鉉の自殺が話題。カトリック教徒に自殺かなという思いもあるが、そう表層的な宗教的な文脈で見るものでもないだろう。
 遺言と言われている文章に火葬にしてくれというくだりがあり、気になった。
 ⇒asahi.com: 土葬から火葬へ 変わりゆく韓国の葬儀 - トラベル

 埋葬という葬礼文化は、風水地理思想と、死体を毀損することができないという儒教的な思考と、「孝」の思想とが結合して定着したものです。韓国では、明堂(風水的に“吉”となる場所)を探して墓をつくって「孝」を行うことにより、子孫代代が栄えるのだと言われてきました。仕事がうまくいかなかったり、家によくないことが起こったりすると、「先祖の墓の場がよくないせいではないのか」と、韓国人がよく言うのは、このことに由来しています。このような価値観は、長い間、韓国人の生活に根付いてきました。火葬をすることは親不孝だとみなし、避けて来たことは事実です。
 けれども最近では、このような認識にも変化が見え始め、土葬が主流であった葬礼文化が変わりつつあります。そのきっかけとなったことのひとつに、このままの状態で墓地が増え続けると、いずれ韓国全土が死者のために埋め尽くされてしまいかねないという問題が浮上してきたことがあげられます。
 このことにより、これまでの葬礼文化を変える必要があるという意識を急速に高めることになりました。火葬を奨励する市民運動なども数年前から起こり、最近では火葬をする人が徐々に増加しています。また、それに伴って納骨堂や土饅頭を模した納骨堂、家族納骨堂などの新しい葬礼施設も定着しています。

 盧元大統領の火葬希望はこの最終段に近いのかもしれないが、韓国の風土のなかでは最初の段のように読まれるのではないか。
 周恩来訒小平も火葬を願った。死して辱められるのを恐れたためだろう。