日経春秋 春秋(5/15)

日本人が母語を操ってさえ、芸術としての文章表現はかくも悩み深い。だとすればこの2人の外国人女性はどれほどの苦心を重ねたのかと思う。

 これは間違い、「芸術としての文章表現はかくも悩み深い」がね。
 「どれほどの苦心を重ねたのか」が表現に、そして特定の言語の伝統に触れればそこから自然に文学表現というものはできている。それが人間経験と言語文化を信じるということでもある。
 増田小夜は文盲でもあった⇒極東ブログ: [書評]芸者(増田小夜・平凡社ライブラリー)