読売社説 毒物カレー判決 動機不明でも死刑を選択した : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 社説については特にない。

 なぜ、林被告はカレーにヒ素を混入したのか。被告が犯行を全面否認していたこともあり、動機は明らかにならなかった。
 最高裁は、動機が不明であっても、「林被告が犯人であるとの認定を左右するものではない」とした。被告の犯行であることは、ほかの証拠が十分に証明しているとの判断からだ。今後の裁判にも影響を及ぼす考え方だろう。

 動機がわからないというのと動機がないというのは違い、裁判の建前では、動機は愕然と存在している。問題はそれがわからないということと裁くという関係だ。
 私の誤解なのかもしれないが、近代の裁判とは、人の意志を裁くのである。人が自由ゆえに罪を犯しうる存在だから、犯罪とは自由の言いでもある。人だからこそ自由があり犯罪が犯せるであって、そしてだからそれを裁くことができる。
 そうして見ると、裁判としては動機がわからないとしながら、暗黙に承認された動機は大量殺人ということで、あり、それが裁かれている。
 が、そうなのだろうか?
 被告はこれまでヒ素で人を殺したことはない。裁判のプロセスでは致死量を知ってのこととされているが、実際に投入されたヒ素の量はたしか百人を超える死者を出しうる量で、であれば、それはほとんどオウム事件のようなテロに近い。というか、そういう枠組みでみるならオウム事件と同じほどの思想性がある。が、あったのだろうか? 私はないように思う。